「太陽光・風力発電トラスト」運営委員・中川修治
また、新しい年になりました。人類の共通の年号では西暦では2004年、日本独特の年号では平成16年。地球の始まりからだと・・・、43億年以上です。
つまり43億回以上太陽の周りを地球が回ったと言うことです。でも、人類はその最後の数万年にしか登場してない新参者です。
さて、我々は未だ目の前に提示されているさまざまの問題の解決を見ていません。大体こういうもんかな?と言うのは見えてきてるんですけどね。ただ、既得権
益をもった勢力はそれを手放したくないようです。つまり、問題の先送り・・・。で、不良資産はますます大きくなるでしょう。支払うほう=次世代はほんとに
大変です。
ただ、昨年、原子力のコスト面でかなりのことが明らかにされました。六ヶ所村で核燃料のの再処理が行われれば、電力コストが1円上がるということです。こ
れの元数値を公表されてはいないものの確かにそれが決して安いものではないと言うことが推進側から明らかにされてきたという重要な意味がある数字で
す。ただ、年末の読売新聞の社説の様に時代遅れの国家のエネルギー自給力を高めるために推進論を主張する人たちもいるのには呆れますが・・・。
国家の自給力と、国民の自給力は異なっています。国家はそのまま国民ではありません。国家の権力はむしろ、国民に対立するものです。むしろ、国民の自給力
を高めるほうが地域社会の将来にとっては望ましい状況を作れるでしょう。中央集権的な国家にさらにエネルギー供給の支配権を集中させる仕組みを入れるべき
ではないでしょう。
むしろ、権力を集中させないほうがより大きな社会全体の発展の可能性を拓くことでしょう。
一方、自然エネルギーは未だ、既存の発電方法とのコスト面での競争力はありません。それは、以前からHPで述べてきてますが、既存の電力エネルギーのベー
スとなって
いるのが盗んできて使って捨てるだけの化石燃料だからだと思います。この使い捨ての化石燃料がベースとなっている限り、設備価格=変換装置の価格がその使
い捨
ての装置と同じかそれ以下にならない限り競争力はありません。
それこそ、再生コストをちゃんと計算すれば、再生可能エネルギーのコストは合うでしょうけど、そういう計算をしないのですから、競争力が無いのは当然で
す。植物というデバイスを使いませんが、明らかに自然エネルギー産業は農業です。
さらに変動をどう吸収するかなど使い勝手では化石燃料に勝るものは無いでしょうからそのコス
トも含めて考えないといけないのでまだまだ自然エネルギーはコスト高です。
さて、私たちの文明が先の世代から次の世代へと引き継がれていくという歴史の中に有ることを考える時、私どもがなさねばならないことは、持続可能な文明の
有り方へとどう変えていくかだと思います。そして、必要なのはその文明を支えるエネルギー供給の仕組みをどう持続可能なものに変更するかで、私は自然エネ
ルギーへの変更が鍵を握っていると思います。
人類は生産したものを全部消費してしまうのではなくその一部を未来へと再投資してきました。それによってさらに生産を拡大し文明を拡大してきたのです。そ
の生産力の拡大を支えてきたのは、初期は農業による食糧=エネルギー生産、そして産業社会となってからは掘り出して使って捨てるだけの化石燃料でした。そ
して、この方法は既に現象面では気候変動が引き起こされると言う物理的な限界に直面しています。また、
資源の偏在によって惹起される富の不均衡を生むことも確かです。
これは、私たちの理想とする公平で公正な社会を作ることは不可能です。地球に降り注ぐ太陽エネルギーの1時間分を人間が使えるようにするだけで今のエネル
ギー問題は解決します。ただ、その変換デバイスに誰が投資をするかなのです。
日本では、それは環境にやさしいことをやる人だけが率先して損を承知で犠牲的精神でやるのが美しいと思われています。そして、それをやる人たちはそれをや
ることをステータスにしています。はたしてそれが公平で公正であるかどうかと問われれば、公平でも公正でもないことは確かでしょう。片や、環境を汚す仕組
みに投資したら儲かるんですから、世の中変ですよね。今の仕組みは地球の環境と資源を一方的に収奪することで成り立っていると言っても過言ではありませ
ん。
そして、現在支配力を持つ企業の多くはそうした仕組みに資本を投下してしまっているだけに新たな仕組みへと変わることを嫌っています。それが、どれほど、
未来から求められると判っていてもまだその人たちからの要請はありません。だって、生まれて来ていないのですから・・・。
しかし、未来に不良資産を残さない自然エネルギーの変換装置から生み出される電力エネルギーは系統に繋がることで、確かに社会全体に供給されているので
す。こうした自然エネルギーに投資さ
れた資金が正当に評価される仕組みこそが求められています。そうした評価システムを作ることが出来れば社会の遊休資金はそうした設備に投資され社会は望ま
しい方向へと舵を切るでしょ
う。そして、その設備は環境負荷の無いきれいな電力を生み出すのです。
善意で世の中が変わるならとっくの昔にこの世は天国になっていたでしょう。あなたの善意で世の中が変わったでしょうか?少しは変わったかもしれませんけ
ど、世の中がそれで前より良くなているたとは到底いえない状況ではないでしょうか?
皆さん、お金があったら太陽光発電を買うでしょうか?それは無いでしょう。大概の世の中の人が欲しているのは楽しい消費生活です。環境負荷の無い電気を
作って喜んでいるのはほんの一部の変人ぐらいです。そして、お金を貯めるの
はいつか自分の欲望を満たす消費財を購入するためで、世のため人のために貯金なんてしてません。
だったら、その貯金が見えないところで碌でもない事に投資されるような仕組みではなく、ちゃんと地域や社会のために投資されそれが正しく評価される仕組み
を作れば良いだけのことです。出来ないのではなく、やろうとしていないだけでしょう。それを初めから諦めて、補助金に頼るのは単なる敗北主義だと思うのは
私だけでしょうか。
圧倒的な大多数は環境に良い自分が他の人よりも経済的な負担を負ってまでしようなんて思っていません。まず、自分の利益を優先します。それが人間と言うも
のです。で、これまでの仕組みは環境を壊すこと
をやって儲かったら、ちょっとだけ環境に良い事をやってみせて贖罪をするだけのことです。
きれいな電力を生産する仕組みへの投資行動がまっとうに評価されればいいのです。環境を保全する行為が儲かるように制度をデザインすれば誰もが環境保全
に一生懸命になるでしょう。誰もが損することなんて実は何処にも無いのです。環境をよくする事業に先行投資する者が損する仕組みを称揚する仕組みを喜んで
るようでは次
世代に対して恥ずかしいことではないでしょうか?
何故、安易に補助金を受けるのでしょうか?市民共同発電所を設置するのにお金を集めるのが大変だからと言われます。だから補助金を貰おうと・・・。それは
運動をむしろ小ぶりにしてしまっているのではないでしょうか?参加者を増やしたいなら、小口の寄付を道端で集めても良いでしょう。自分たちがよい事をして
いるのだと思うなら、声を大きくどうどうと主張すべきです。参加者を増やす努力をすべきなんです。
大きければ良いと言うならどんどん参加者を集めればいいのです。一口1万円が大変なら1000円で10人集めればいいのです。何故、安易に運動を進めよう
とするのでしょうか?初めは小さくても良いでしょう。一期工事で小さくはじめて、どんどん大きくすれば良いのではないでしょうか?
たった一つ作っておしまいなのでしょうか?それで満足していて良いのでしょうか?自分たちは他とは違うんだと自慢していればいいのでしょうか?それは違う
と思います。むしろ、それは恥ずかしいことです。
初めは3Kwでも次にまた3Kw増設しても良いのです。それをどんどん積み重ねていけば、30Kwでも300Kwにもなるでしょう。出来ちゃったらお
終いではなく、どんどん大きくすれば良いのです。拓いていけば良いだけのこと。
屋根の上を開墾するのと同じです。その規模は皆さんの歴史となるでしょう。第一期で3Kwだったものが2期で10Kwになるかもしれません。
大事なのは初めの規模ではないのです。どう仕組みをつくり育てていくのかです。誰もが喜んで、自分の分の環境負荷の無い電力を作れる仕組みを作ることが大
事なのです。
最近、滋賀県という環境熱心県を標榜する自治体が、市民共同発電所に設置時の補助金を出し始めました。実に変な制度なんです。それを数字で見てみましょ
う。
設置年
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出力
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設置費用
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Kw当たり単価
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県の補助金
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発電原価
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売電価格
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設備費回収年数
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1997年
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4Kw
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420万円
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105万円
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なし
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120円
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25円
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45年
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2003年
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同上
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240万円
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30万円(60万円)
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半額
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30円(60円)
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25円
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11.25年(22.5年)
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これを事業として考えたらどうなんでしょうか?いやはや、発電原価でみると・・・。金利無しで見たらなんと〜〜〜!発電原価は15円/Kwhぐらいですか
ら、儲か
りまっせ。やらん奴は馬鹿ですかな?
ではちょっと別の観点から・・・。
これが、公金の使い方としてみて、公平でしょうか?公正でしょうか?後出しのじゃんけんが良い事だと言われてるのは確かですね。
販売事業者はモノが売れるのですから喜ぶでしょう。後出しの方も安く出来て得しますから喜ぶでしょう。でも、1997年に設置したグループはどうなんで
しょう?彼ら過去も今もこれからも発電原価が120円の電力をずっと25円で売らなければならないのです。同じ環境にいい事をしているのにどうして後から
した人だけが損をしない仕組みを作るのでしょうか?それも公金を使って・・・。
補助金が無くても半分の価格で作れた人たちに何故、補助金を出すのでしょうか?実に不思議な制度です。結果の不公平を拡大する補助金です。公的な資金の使
い方としては実に不公平で不公正を拡大する変な制度です。でも、皆さん良い事だと仰るのです。実に不思議です。
順番を待ってる列に後から入るとかも似た行為です。こういうことが良いことだなんて思われるようじゃ、世の中良くなるわけないですよね。
同じ条件にするというのなら、先にしたグループにこの制度では75万円の補助金を出さないといけません。私はせめて同じ条件にするべきだと思います。しか
し、そうしたことは一切しません。この制度は公平でも公正でもないのです。県がはじめた公的な資金の使い方として正しいと言えるでしょうか?
せめて、後からした人と先にした人が同じになってはいけないのでしょうか?先に環境にいい事をした人は何故、損をしないといけないでしょうか?答えて欲し
いもので
す。
この制度で公平性を保つなら、どうしたら良いかをここで提案しておきましょう。そんなに難しいことではありませんから・・・。今までに予算制度でも可能で
すからね。
先行の設置グループに今年の設置グループとの差額の45万円を補填すれば良いのです。で、これが発電設備に使われるようにすればいいのです。つまり、各グ
ループにその支援金を出す時に必ず、新たに発電所の設置を義務付ければ良いだけのことだったのです。そして、具体的には、その補助金を受けたグループが後
から設置するグループにそのお金を出資すれば良いだけのことです。それによって公平性はある程度保たれます。
問題は有るでしょうか?こうした措置を採るほうがよっぽど公平さは保てたでしょう。しかし、この自治体はしませんでした。多分、太陽光発電設備が設置され
ること自体が良い事だと思い込んでしまったのです。
こうした公金の使い方を考え実行に移した公務員はその職務規定を犯していると言われても仕方ないかもしれません。もっと厳しく言うなら、これは公金の不正
支出で犯罪行為であると告発されても文句は言えないのかもしれないのです。
さて、ここまで代替策を提示してもそれでも、間違った制度を続けるのかどうか・・・。今後の動きを注目したいものです。