2006/01/05

2006 年・世の中、気持ちで変わるならとっくにこの世は天国だっだろう
そりゃ、無理なんで、何とかしようと今年もやれることだけはやる事にする


2006年になった。何もしなくても何も成果を上げられなくても時間は過ぎていってし まう。だから、気持ちはちょっと焦っている。

さて、去年と今年、何が違うか・・・。私は23年間働いたお金 を貰う社会的な仕事を辞めた。その組織があまりにも時代に合わなくなってきていたことと、その組織にどっぷりと浸かっている嫌な人間と顔をあわせて仕事な どもうしたくないと思ったからだ。その最後の一年ちょっとは嫌で嫌でしょうがなかった。気分が悪い、精神衛生上よろしくないので辞めた。其の所為で、これ からは蓄え食い潰し型の生活になる。

と言っても社会的に必要な仕事はするつもりだ。お金にはならないけれど・・・。だって、誰もがお金お金と狂ったようになってしまっていることの根本的な問 題を解決する糸口が何となく見えてきているし、ここ10年、お金貰う仕事とは別にやってきたことは、まだ片が付いていないのでやっておくことにした。

思うにこれは僕個人に限ることではなく、むしろ、お金を貰う仕事以上に大事なことなんだろうと思えるからだ。たまたま歴史の流れの中で私がそう言うことを 知る時期に生まれてしまったと言うこともあるし・・・。あと何年、生きるのかなと考えたら25年ぐらいだろう。それぐらいしか私に残された時間が無いけれ ど・・・。

生まれてから25年ぐらいは親に養ってもらった。(親を通じて社会が育ててくれたんだろう)で、一応、社会的に必要だと言うことで分業社会の中でお給料も もらえて、私自身の仮説(人間は情報のメルクマールであると言う事)を検証できる仕事で25年近く働いてきた。一応、それなりに社会的な信用がある企業で あったが、それは個人的にはどうでも良い事だった。むしろ、そこで知ることの出来た多くの方々にこそ私は育てていただいたのだと思う。

が、私個人が生まれてから半世紀。どうも、この身をおいている企業の理念的なあり方がおかしくなって来てしまっているので居心地があまりに悪くなってきて しまったということもあって辞める事にしたのだ。

確かに、今の企業社会の仕組みでは60才ぐらいまで働いて(ほんまにちゃんと働くかどうかは疑問、だって上の奴見てたら分かるもんね。働かないけど先に居 るからと偉そうにえばるんだもんね)で、しっかり年功序列型賃金もらって年金しこたまもらって安穏と食い潰してくらせりゃ良いってのも居たりする し・・・。でも、それは実は恥ずかしいことだと思えたからだ。

そして、それをそのまま認めることは嫌だったし、実に恥ずかしいことだと思えたからだ。

それと、もう一つ、悲しい事件が起きてしまった。ここ10数年、ずっと私が関わってきた自然エネルギーで、仕事をしてきた友人を失ってしまった。彼は、そ の夢を実 現する事無くこの世を去って行った。音楽が好きで真っ当に生きたいと思っていた奴だった。これから、本当に彼が活躍すべきその時期を前にして彼は逝ってし まった。何がかれをそこまで追い込んだのかの理由も良く分かる。

さて、では、このままにしておくべきなのだろうか?それはあまりに無責任すぎるだろう。だから、形にしていくことにしたい。未来は、自分たちの手で創って いくものなのだ。傍観者ではいられない。それが私たちの歴史になるのだろうから・・・。

私たちが生きている地球は物質的には閉じられた系であるが、そこに新たに加わり、流れ出していくものは太陽からのエネルギーのフローである。そして、それ をバイオマスによって短期的に固定化される限界で生命活動は行われていたのが農業による文明。ただ、この文明は森林を再生する量以上を食い潰していってし まい、エネルギー枯渇の問題を 先送りしようと化石燃料に手をつけてしまった。

また、生産力の高度化によって株式会社と言う社会的な個人の信用を個人から引き剥がした人格の無いお金によって繋がる社会が成立する。ワットの蒸気機関、 そして、石油を使う内燃機関により自然 への支配力は確かに大きくなり生産性は上がったものの、かなり危機的な状況にある。その生産性の高さを原資にして分配量の総量を上げることは不可能なの だ。

むしろ、地球環境への人間活動による負荷は大きくなり、既に生産性を挙げることは無理なのだ。資源は枯渇してしまう。人類の欲求を全て満たせるほどにこの 地球は大きくは無いしその資源量は残念ながら十分ではない。

それよりも、重大な問題は捨て場所がないということである。資源を取り出して使って捨てるだけのワンウェイの文明のあり方は、化石燃料などの有効資源を収 奪する仕組みで成り立っている。そして、何よりも石油などの化石燃料資源の使用によるCO2の大気中への大量廃棄こそが最も大きな問題として浮上してき た。

太古の昔、人類発生以前に大気の中のCO2を原料にその時期の植物などが固定化した太陽エネルギーを再び固定化もせず使い捨てにするこの文明が持続可能か どうかは誰が考えてもそうであるとはいい難い。ただ、現在の社会はそれが当然であるという仕組みで動いているのだ。このままにしておくことは出来ない。未 来の世代に引き継ぐことが出来ないのだ。

では、如何するのか。

人間と地球の関係を変えるしかないのだろう。今の収奪型の文明の在り方から持続可能な物質循環型でエネルギーに関しては太陽エネルギーのフローを取り入れ る文明の在り方へと転換することだ。

この文明の在り方の利点は、何よりも持続可能なことだ。さらに、集中しないので権力が分散する事になる。ただ、現在の化石燃料資源収奪型の文明によって権 力を持っているものには利点が無いように見えてしまう。しかし、それは実に短期的な見方によるもので、限られた富を奪い合うしかないと言う固定観念に拠っ てしまっているのだ。

これまで、この国では明治維新以降、化石燃料文明を採用し、ひたすらに近代化を図った。そして、現在も、資源が無いから加工貿易で付加価値を高めて国力を 高めるのだと言う、明治維新の頃の組み込まれたDNAで動き続けている。戦後の数十年は強兵に掛ける資金を再投資に廻すことで驚異的な高度成長を成し遂げ たが、「富国強兵」「殖産興業」「生めよ増やせよ」その思想・理念は第二次世界大戦(15年戦争)で米国などの別の産業資本国家に敗けても何ら変わること は無かった。

確かにこの化石燃料食い潰し文明の在り方を採り続けるならば資源が無い国であることは確かだ。ただ、それだけの資源を使い続けることは不可能なのだから変 更すべきだろう。私たちの祖先は、この極東に地で千年以上も、つい、200年ほど前までその地域に降り注ぐ太陽エネルギーによる文明を築き上げていたの だ。その知恵に学ぶべきだろう。

量から見ればエネルギー資源としての最終消費に廻るエネルギーの総量はこの地球上に降り注ぐエネルギーのフローをほんの一時間分だけ変換できればいいのだ と言われている。そうすれば、化石燃料を盗み出して燃焼させCO2を大気中に廃棄せずに私たちは持続可能な文明へと変えることが出来る。

しかし、権力を持つものたちはその権力が権力以外のものが持つことでなくなることを恐れている。権力の源泉はエネルギーをコントロールする事に在るから だ。ただ一つ、太陽からのエネルギーのフローを人類の文明圏に導きいれ、消費するよりも多く生み出し、それによって自立することが出来るならば、人は他者 によって支配されること無く、自立可能となる。そして、それが奪う事無く出来るならば、人は平和な未来を構想することも可能となるだろう。

私が望むのは、「人が人の上に人をつくり、人の下に人を人をつくる」こんな社会をそれぞれの知恵を持ち寄り、より人々が心豊かに未来を構想できる希望を持 てる社会である。私たち人間にはそうした事業を成し遂げられるものだと私は信じている。




2006・01・07

昨日までの「ひむか2号クン」(自宅の屋根の上に設置された多結晶4.98kw京セラ製)は、1955年2月17日の発電開始以来、積算発電総量5万6297kWhとなった。昨年末に明らかになった1系統の接続間違いを直し てからの一ヶ月の発電量は、504kWhで一年目の同時期と比べると 15%ほど多くなっている。今日のように冬で光の入射角が低くても3kwほどが出ている。南中高度で3.2kwである。

このきれいな電気の発電原価は一体幾らかを計算してみた。(5kWシステム)

(初期設置費用)900万円<うち個人負担分450万円>×2.0(4%複利金利分 を載せるので・・)            
        _______________________         = 163円/Kwh

20年総発電量  11万キロワット時                 

個人負担分ではこの半分なので82円/kWhぐらいだろうか・・・。 それが、電力会社に売られるときは20円以下となる。本来なら当家のきれいな電気は社会的に見て160円ぐらいが妥当な価格である。国が出したお金は国民 の皆さんが支払ったお金なので当然これも評価対象とされるべき資金であると思う。これは10年前の価格である。

では、今年なら一体幾ら支払われるべきだろうか?

(初期設置費用)300万円 × 2.0
___________________    = 54円/kWh

 20年間総発電量 11万キロワット時


これが妥当な数字だろう。ドイツでは70円/kWhとなっていいるが、これは日射量が日本の8割であることを考慮すれば妥当な金額である。つまり、太陽光 発電設備によって社会に供給されるきれいな電力にはこうした価格が支払われるべきものなのだと思う。

こうした買い取り価格支持制度が社会的な合意によって成立すれば、社会の資金はそうした流れを通って太陽電池という生産財に固定化され、環境負荷の無いき れいな電力が増えていくのである。こうした制度枠組みをつくることを政策と言うのだが、この日本ではそうした合理的な考え方は採られていない。

  1. ここで何故に発電原価の計算に金利を入れるのかという問いに対しての答えを述べておく。それは、実に簡単なことで社会の資金が動くためにはプ ラス金利の付く様に制度デザインをしなければ社会の資金はそこに投資されないと言うごく簡単な理由からです。貴方は、みすみす損するものにお金を出します か?
  2. ではこの20年間で2倍と言う利子率が妥当かどうかですが、20年でローンの金利を支払ってマイナスになるなら資金は、やはり投ぜられないで しょう。そこで、若干のプラスになるように設定しました。普通の事業は5年で減価償却が終わってあとは儲かると言う風に考えて皆さん事業をされますから、 これはどちらかと言えばあまり儲かる事業ではありません。これは減価償却が10年も掛かるだけでもかなりローリターンな事業です。
因みにここでの発電原価が160円に設定されるなら、私は発電量を増やすために反射板を置くとか反射シートを北側に建てるとかの発電量を増やす試みをする だろう。しかし、現時点ではたったの19円80銭でした買われないので、そう言うことをやる気が起きないのである。やれば増えるのは分かるけどね。しか し、そうした各現場での創意工夫を生み出す気持ちをもてない制度では自然エネルギーをやろうと言う気にはならないだろうな。

さて、本題に入る。下記の記事はNEF(新エネ財団)による国の課程用太陽光発電支援事業終了に関しての記事である。


新エネ財団、12年で宅用 太陽光発電を94万5200kw補助

 新エネルギー財団が窓口となって進めてきた住宅用太陽光発電の導入促進事業で最終年度となる05年度 は、3万9643件の申し込みで終了した。この結果、94年度から12年間にわたり続いたこの補助事業で設置した住宅用太陽電池の合計件数は25万 6643件、出力では94万5200キロワットとなり原子力発電設備1基分とほぼ同等となった。

 国は太陽光発電の規模を2010年までに482万キロワット へ高める目標を掲げている。このため今後はフィールド事業の強化や大規模電力供給用発電系システムの実証など、住宅用中心できたこれまでの普及策を産業用 や事業用、公共などへ拡充し、大規模な設置策を強化していく。

(日刊工業新聞) - 1月6日88時30分更新

上記の記事は今日配信されたものである。この支援事業に関しての詳しい分析は当方のHPで 家 庭用太陽光発電設備普及と国の補助金制度 1994〜2003)まとめ として、UPしてあるも のを呼んでいただければその問題はお分かりいただけると思う。

05年分は1kWあたり2万円であったのでおよそ予算規模(平成17年度予算額 約26億円)から計算すると4万件の3.2Kwtで出力では13万Kwほどとなる。昨年度末までの総設置量は81.5万kwである。

記事後半では産業用などのへ設置策を拡充としているが、そのと目される予算が既に執行されている。今年で言えば98億円のNEDO予算である。こ れについては既に書いたが、この予算を使ってNEFのスキームで支援したらどれほど設置されるかを計算したら16万件分である。これは67万キロワットの 設備容量になる。両方をあわせるとちょうど80万kWだから、これだけで昨年までの設置量のほぼ倍の設備容量にすることが可能だったと言える。つまり、原 発2基分だ。

資金の有効活用というならば、むしろ、家庭用太陽光発電への支援をスキーム自体を見直して拡充し、総体としての設置量の拡大を図るほうがよっぽど合理的で ある。こうしたお馬鹿な(失礼)スキームでの予算執行は実に無駄なことだと言うことを官僚諸君は何故考えないのだろうか?実に不思議な国である。

これは、結局、次の世代に負の遺産を残したくないと思っている人たちの良識を一過性の安い補助金で買い叩いただけと言うのが事の真相である。官僚としては 安い予算で効果を揚げたというのかもしれない。が、ならば、NEDOの支援事業はどう考えてもその反対である。98億円も掛けて申し訳ないが、たったの2 万3497Kwだ。NEFの事業スキームならその30倍近くなる67万キロワットなのだ。馬鹿げている。

そして、この公金の波及効果は実に小さい。限られた企業だけにその資金は行かないが、その30倍の規模の市場が出来た筈なのだ。それは設置事業者にもひい てはメーカーにもそして、何よりも末端のユーザーであり、きれいな電力の生産者に長期に亘って安心安全な電力を生み出す喜びをもたらしただろう。

物が安ければいいというのは間違った考え方なのだと思う。物の価格はそれを製造するためのコストを積み上げて出てくるものだ。市場価格とは指標では有るが それ自体がコストを表すわけではない。