以下は、日本工業新聞96年10月23日掲載の『シンクタンクの目』 始まった“発電所ごとの競争”の時代 求められる「自立した経営戦略」を、原著者 日本総合研究所主任研究員 飯田 哲也 氏ご本人の了解を得て本人より頂いた原稿を転載させていただいたものです。

※以前、ニューズウイーク日本版で欧米が原発から撤退しているのは、経済的要因が大きいと報告していましたが、以下の記事でもっとも注目すべき点は参考の図1で日本の原発の電気の発電原価が明らかにされていることです。これまで国、電力会社が宣伝し、一般に知られている原子力発電の電気の原価、つまり、通産省がモデルプラントを想定して算出した値(約9円/kW時)と比べ、各原子力発電所の設置許可申請書に記載されている電気の発電原価との差が大きく違っている事がわかります。

【参考】

通産省資源エネルギー庁公益事業部が編集し(財)日本原子力文化信仰財団が発行している‘96 原子力発電 その必要性と安全性 という小冊子には各種の発電設備の種類別の原価が掲載されている。(10ページ目)ここで、水力は13円程度、石油火力は10円程度、石炭火力が10円程度、LNG火力が9円程度、と紹介されていて原発は他のエネルギー源と比較して遜色がなく、中長期的な安定も期待できる。と書いてあります。 

このことは、通産省のシミュレーションの前提が全く、非現実的であることを示しています。また、この値にはPA費用・原発R&D費用・最終処分費用や実質的に原発立地に使われている電源特会などは含まれておらず、さらに、廃炉費用や再処理コストも全ての電気料金に薄められているという問題点が残っています。これらを原発だけに加算すれば、原発のコストそのものが『非現実』的数字になることは明らかです。

    これに関してのメールを電力関係の方から頂きました。御参考にご覧ください。

    (太陽光発電の原価?を見たい人はここをみて)
 
 


日本工業新聞『シンクタンクの目』集中企画 96年10月23日掲載分

統一テーマ:原子力産業
              日本総合研究所
               主任研究員 飯田 哲也

標題:電力規制緩和下における原子力の展望
 〜エネルギー政策と電力経営のはざまで、いま原子力をどう位置づけるのか

 八〇年代半ばより、電気事業の再編や電力市場の自由化の波が全世界的に押し寄せている。わが国でも今年から発電市場の自由化が開始された。この規制緩和の潮流を、電気事業としてどのように捉え、原子力をどのように位置づけるべきだろうか。本稿では、規制緩和で先行している欧米の現況と原子力の経験を参照しながら、考察を進めてみたい。

欧米における電力規制緩和の現況と原子力の経験

 英国では、公営企業の民営化というかたちで規制緩和が始まった。八九年電気法にしたがって国営の中央電力庁と地方局が分割民営化され、九〇年四月から二つの発電会社・一つの送電会社・十二の配電会社という現体制がスタートした。このとき、原子力部門は経済性の問題から民営化の対象から外され、同時にPWR三基の開発も凍結された。その後、九五年五月に発表された『英国原子力政策』にそって原子力の民営化が進められ、九六年四月にニュークリア・エレクトリック(NE)社とスコティッシュ・ニュークリア(SN)社の原子力発電二社を子会社とする持ち株会社ブリティッシュ・エナジー(BE)社が発足した。しかし、BE社の設立にあたってNE社の老朽原子力十二基は国有のマグノックス・エレクトリック社に移管され、BE社は設立早々にPWR三基の計画を放棄し、天然ガス部門への構想さえ発表した(注1)。それでもBE社は、将来発生する廃炉とバックエンド費用約一兆二千億円を競争市場下で回収できるかどうかの見通しは立っていない。なお、原子燃料会社BNFLは国有のまま残された(注2)。

 米国でも九〇年代に入って電気事業の規制緩和が加速した。カリフォルニア州では、この九月二三日に電力再編を軸とする法案が成立し、いよいよ九八年一月に予定される規制緩和に向けて秒読みが始まった。この規制緩和が進む中で、原子力発電は、残留投資費用(あるいは回収不能コスト)を生む大きな要因として問題になっている。残留投資費用とは、電力自由化によって需要家がネットワークから離反するために
、料金収入を通じて電気事業が回収できなくなる投資をいう。カリフォルニア州では三兆円を超えていると試算されており、その少なからぬ部分を原子力が占めている。また別報告によれば、今後の天然ガスの価格や競争へ移行する時期によっては、全米で最大八兆円を超える残留投資費用が原子力から生じうるとしている(注3)。

 以上が原子力にとって規制緩和が逆風となった例とすれば、スウェーデンではかつて政治的に決まった原子力廃止を、経済の面から再検討する動きがある。スウェーデンでも九六年一月から新電気法にもとづく電気事業の規制緩和が始まった。これで全ての需要家が系統にアクセスでき、従来の供給事業者以外からの電力購入が可能となった(注4)。また広告も自由化されたことから、ストックホルム・エネルギー社のように、追加料金を払えば原子力・水力・コジェネレーションの三つの電源から好きな電源を選択できるといった販売戦略を始めたところもある(注5)。この規制緩和と並行してエネルギー委員会報告が九五年一二月に提出され、原子力発電所の閉鎖が一つの焦点となっている。ただしここではむしろ、運転延長よりも早期廃炉のコストの方が上回っていることから、二〇〇〇年までに二基の廃炉という計画を一基にとどめるという政治的に現実的な解が模索されている。

欧米の経験が問いかけるもの

 さて、こうした欧米の経験から何を読み取るべきだろうか。規制緩和については、料金制度や送電システムなど個別の制度や状況に目が行きがちであるが、もう少し引いた視点から、規制緩和のマクロ的・時代的意味を見つめる必要がある。

 歴史的文脈で捉えた規制緩和とは、やはり『経済の民主化プロセス』であると捉えたい。すなわち、近代から冷戦終結に至る『政治の民主化プロセス』と同時進行的に、かつそれを土台にしながら進行してきた潮流であり、米国フォーディズムに象徴される『モノの普遍化』という次元に始まった『経済の民主化』が、より高次へと移行しつつある過渡期であると見ることができよう(注6)。

 このように捉えた規制緩和では、『透明化』『意思決定の分散化』『公平公正』という三つ重要な共通点を見ることができる(注7)。『透明化』は市場メカニズムを成立させるために不可欠な前提条件であるとともに、情報公開と同義である。英国のプール価格の提示や米国における分離料金、スウェーデンにおける電源別料金制度などが好例であろう。『意思決定の分散化』とは、自己責任という義務と同時に、市民(消費者)の参加という権利をも包含している。米国において電力市場自由化プロセスそのものが環境アセスメントの対象となっている所以である。そして『公平公正』とは、経済的に公平なルールである市場メカニズムに加えて、社会的公正性、例えば社会的弱者の保護や環境保全も含む概念である。こうして経済平面だけでなく政治平面からも眺めると、規制緩和とは、例えば新古典派など『規制撤廃論者』が主張するような自由放任経済といった一面的なものではないことが理解できる。

 さて以上のような視点に立てば、規制緩和は歴史の必然として受け止めるべきであろう。たしかに、規制緩和は投資や技術開発が極めて近視眼的なものに向かうという批判があり、エネルギーセキュリティや長期的な研究開発などの面から問題が指摘されている。しかし、問題の指摘によって現状を養護するのではなく、規制緩和の潮流の中でそうした問題への対処を図る姿勢が求められる。たとえばエネルギーセキュリティや将来世代のために必要な長期的な研究開発や地球環境保全のための再生可能エネルギーへの投資は、社会的に明示し合意された形で行うことが必要となってこよう。

 では欧米における電力規制緩和の経験から原子力について何を学ぶべきか。やはり残留投資費用という経営リスクを筆頭に指摘したい。前述の事例では、一見、原子力の二面性が見られた。電力市場の自由化が進展してゆく状況下において、残留投資費用という経営リスクを生んだ原子力と非化石燃料として安定した電源としての原子力である。この二面性は、規制緩和以前に、国に依存したり不透明に運用されてきたか、スウェーデンのように透明かつ効率的に運用されてきたかが大きな分かれ目になっているように思われる。

『護送船団方式』から『自律した経営戦略』へ

 事業地域を自然独占し発電−送電−配電が垂直統合された電気事業では、しばしば規制は『檻』に例えられる。かつて経済合理性と公益性を守ってきた『規制の檻』が、今や内と外に弊害を生んでいるというのだ。外には囚われの需要家が不当な費用を支払い、内には囚われの社員が『檻』にもたれかかって健全な企業文化形成が阻害されていると揶揄される。しかしもはや、原子力を含めて電気事業は『規制の檻』に持たれかかるべきではない。すなわち、こうした規制緩和の潮流の中で、原子力推進か撤退かという冷戦的思考は、少なくとも電力経営の視点からは止めるべきであると考える。

 すでに発電市場の自由化が始まり規制緩和の潮流にあるわが国で、現在のような電力会社にとって優先的で有利な費用回収がいつまで可能かはまったく不明である。平均で四倍に達した今年の卸電力入札の状況を見ても、産業界から一層の自由化への期待と『規制の檻』への批判がますます強くなることは必定である(表一)。また、経済性が良いとされてきた原子力発電所も、各発電所の設置許可申請書に記載されている発電原価で炉ごとに見ればさまざまなバラツキがある(図一)。電気事業は、内に対しては原子炉ごとに真のコストと経営リスクを見極めて、競争を先取りした備えをしなければならない。外に対しては、卸電力入札の効率性とのバランスをとってゆかねばならないだろう。いわば、『良い発電所』と『悪い発電所』という発電所ごとの競争が始まる時代である。

 電気事業はコモンサービスという機能において公共財であり、公共財としての電気事業の混乱は市民社会と日本経済に大きな影響を与える。それがゆえに、規制緩和や地球環境問題など歴史の大波が押し寄せるなかで、電気事業には『護送船団方式』の原子力政策を超えた、冷静でしたたかな『自律した経営戦略』が求められている。

(注記)
注1:『海外電力九六年四月号』の記事による
注2:全体状況については、『海外電力九六年一月号』およびJ. Surrey, "The British Electricity Experiment", Earthscan Publications, 1996による
注3:ニュークレオニクス・ウィーク九六年八月八日の記事による
注4:Ministry of Industry & Commerce "The New Swedish Electricity Market - A summary of the reform", 1996
注5:ニュークレオニクス・ウィーク九六年二月二二日の記事による
注6:佐伯啓思氏の論考(『アメリカニズムの終焉』など)を敷衍して解釈したもの。
注7:規制緩和では、市場メカニズム・自己責任・参入規制や価格規制の撤廃が言われることが多いが、これらは経済的領域での議論であり、本稿ではより政治的な概念に置き換えて考察した。