★ 原発と保険(2)


前回では、原子力災害に対し電力会社(保険会社)の賠償は300億円まで、これを越え る場合は国が補償(無制限)する、但し電力会社はその責任を免れる場合がある、という ことを概説した。今回は特に重要な問題点として●賠償額●免責事項について解説する。

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●賠償額                                   

前述の通り、現在は300億円が上限となっている。果たしてこれで十分なのだろうか。 答は否、全く話にならない額である。                      

実は、原賠法制定に先立って政府はアメリカ同様、万一災害が発生した時の被害について検討している。「知らない人が見たらびっくりする」という理由(?)でマル秘の判が押され、今でも公開されていないが、その報告書「大型原子力発電所の事故の理論的可能性と公衆損害の試算」には、条件によっては被害予想額が3兆数千億円(当時の国家予算の2倍)になると述べられていると言う。この数字を現在の出力・人口密度に換算すれば天文学的数字になってしまう。にもかかわらず、賠償額はわずか300億円なのだ。何故これ程低い額なのか。答は簡単,保険会社がこれ以上払えないと拒否しているからに過ぎない。いくら,国や電力会社が「安全」と宣伝しようが、保険会社は冷静に判断しているということだ。(参考:アメリカの賠償限度額は現在70億ドル程度になっていると思う)

話は少しそれるが、電力会社はこの損害賠償額とは別に自分の持っている原子炉施設そのものの物的損害のための保険、「原子力財産保険」にも加入している。車の保険にたとえるなら任意保険にあたる(損害賠償は自賠責に相当)。この財産保険の保障限度額は1基当り1000億円前後、住民への賠償額のなんと3倍なのだ。年間に支払う保険料も財産保険分は数億円、住民への分はその10分の一に過ぎない。賠償額を低く抑え、被害者を犠牲にしてその余力を資本に回しているという訳だ。原賠法の目的のところで述べたように、この法律の主目的は「原子力事業の発達」であって、「被害者の保護」ではないことが、この点からも理解できよう。結局、国や電力会社はもちろん、保険会社も住民の保護という観点は全く持っていないのである。

●免責事項

いかに国策とは言え、保険会社も民間営利企業であり、もともと保険として成立し得ない原子力を引き受けさせられたのであるから、少しでも損失を抑えたいと考え、免責事項を設けるのも当然と言えば当然である。

正常運転による損害

 原発での故障・誤操作がなく「許容量以下」の放射性物質しか放出していない場合による損害は免責される。と言うことは、正常運転であっても原子力損害が起こり得ると保険会社が恐れていることがわかる。そして更に、国も補償すると言っているということは国もまたそのような可能性を否定していないということだ。原発周辺で白血病が多発しようが、労働者被爆でガン死者が出ようが「正常運転」であり「許容量以下」なのだから補償の必要は認めませんというのがこの中身である。しかし、本当に「許容量以下」の放出であるということを誰が保証するのだろうか、事故隠しの常習犯である電力会社自身が全てのデータを持っているのにである。また、「許容量以下」でも危険というのが最近の考え方であり、蓄積・濃縮による晩発性障害(=緩慢な死)の危険性は極めて大きく、将来何らかの障害が出ることも十分予想されるはずだ。つまりこの項目は、推進側にとって声を大にしては言えない(危険性を認めているから)が、きちんと抑えておかねば原発を推進できないという重要なポイントなのである。        

地震・津波・噴火による損害

 日本が世界有数の地震多発国であることは、周知の通りである。そこで原発は、十分な耐震設計にしてあるから大丈夫、「地震の時には原発サイトに逃げ込んだ方が安全」とまで電力会社は豪語している。ところが地震は免責、何故か。実は、当初保険会社は地震を免責にできるとは思っていなかった。国内での保険引受けを決断し、自分の身を守るため海外へ再保険を打診したところ、「日本のような地震国での原子力保険など危険すぎて引き受けられない」と断られたのである。そこであわてて免責事項に加えたという経緯がある。つまり、国際的には日本の耐震設計などなんら認められていないのである。

10年後の請求

 放射線障害の発生は、晩発性になるとガンの中でも白血病など早いもので5年、遅いものだと20年、30年後、さらには世代を越えることもある。こういう事実があるにもかかわらず、わずか10年の請求期限を設け、被害者を切り捨てようと言うのである。この免責事項の目的は、ガン多発が問題になるであろう将来に備えその時訴訟を起こさせないようにするための防護線を張ることに他ならない。では、10年以内なら救済するのかと言えば、これも期待できない。なぜなら、仮にガンが発生しても、それが放射線によるものなのか、化学物質によるものなのか、あるいは遺伝なのか、現在の医学水準では特定できないからだ。「因果関係が立証できない」という理由で切り捨てられているのが実情なのである。国や電力会社にとってこれ程利用価値の高い切り捨て理由も他にはないであろう。逆に言えば、被害者にとっては越えることのできない大きな壁になっているのである。

以上、原子力保険の問題点として、賠償額と免責について見てきた。これらが如何に欺瞞と矛盾に満ち満ちたものかご理解いただけたと思う。最後にもうひとつダメ押ししておく。原子力保険の上限を越える損害は国が補償するとなっているが、これもまた間違っても期待してはいけない。広島・長崎の原爆被爆者や在韓被爆者の現在の状況、あるいは今この時にも闇に消されていく原発労働者の実態などを考えれば、その理由は明らかだろう。原子力災害が発生しても電力・保険会社はもちろん、国からも納得いく補償は得られないと肝に銘じておかねばならない。あらゆる意味で、住民の犠牲の上に原発は動いているのである。


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「 ことの葉 −ある言葉の記録− 「

                           ■六ヶ所村にて
◆元六ヶ所村々長寺下力三郎

「「「1973年、国土総合開発法案を審議する衆議院建設委員会公聴会での意見陳述から要旨(核燃基地の前身とも言える、むつ小川原開発に対して)

「開発の大波の罹災者とならないために、開発難民にならないために、私どもは必 要な努力をしている。反対運動などというのは表面上の見方で、本質は生きる権利の主張に他ならない。開発は、開発する側にとっては損得の問題であろう。しかし、地域住民にとっては生きるか死ぬかの問題である。(中略)巨大開発のやり方は、日本の植民地主義者、侵略主義者が大陸に進出した当時の手口によく似ている。つまり現地住民との対話を必要とせず、反対の意見には聞く耳を持たない。民主社会のやり方ではない。それは開発の内容が巨大な虚構であるからで、こんな虚構を前提とした開発に対話も合意のあるはずがない。さらに重大なことは、自然破壊の前に人間破壊が意識的に行なわれることだ。外地では、実弾は鉄砲だった。私の村では銭だった。私どもはこのやり方を『銭ゲバ』と呼び、『政治公害』と理解している。そして、この銭ゲバ攻勢で、法律の軽視あるいは無視され、農林大臣の許可を必要とする農地の買収行為が、不許可のまま強行された。特に訴えたいのは、開発の内容が一切秘密にされていることであり、それは民主主義の否定であると同時に、開発そのものの危険性を物語っている。開発の一方的押しつけは、地方自治の本旨を無視した、自治権の重大な侵犯である。」

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