★ 原発と保険(1)


まず最初に、皆さんが加入している保険の約款やしおりの「保険金をお支払いできない場合」あるいは「免責事項」のところを見ていただきたい。そこにはこんな項目があるはずだ。

・原子核反応または原子の崩壊による事故 ・核燃料物質(使用済み燃料を含む)もしくは核燃料物質によって汚染された物(原子核分裂生成物を含む)の放射性、爆発性その他有害な特性による事故…などと。

つまり、原発そのものの事故や核燃料輸送での事故などによって被害を受けても、保険の対象にはならないのである。何故だろうか。

そこで筆者が加入している、ある保険会社に問い合せてみた。

質問.1 想定している原子力災害の具体的事例は何か

《回答》・広島、長崎に落とされたような原爆の事例
    ・アメリカのスリーマイル島の原子炉事故
    ・旧ソ連のチェルノブイル(原文ノママ)の原子炉事故
    ・プルトニウムの運搬中の事故 等

質問.2 なぜ免責なのか。

《回答》 原子核反応または原子の崩壊が起これば大災害となり、多数の被害者が出ることになります。万一、保障能力の越す災害になった場合のことを考え、一応免責事項になっております。(傍点筆者)

つまり保険会社はこう言っているのだ。『原子力災害は起こるだろう。そしてその被害は保険金の支払い能力をはるかに越えるだろう。原子力災害は、地震や台風と同じで天災なのだ、諦めなさい』と。

この何でも保険の「保険社会」で、保険会社も避ける原子力。では、「原発と保険」についてその歴史的背景や現在の状況などを見ていこう。                                                           ◇         ◇        ◇ 

始まりは、やはりアメリカである。1953年アイゼンハワーによる「原子力の平和利用」 宣言の後、アメリカでは原子力開発への民間企業の参入を促進すべく、原子力法を可決した。しかし、民間企業は原子力の持つ危険性を恐れ、尻込みするばかり。その上保険会社も保険の引き受けを拒否する始末。原子力の危険性、その被害の甚大さを一番認識していたのが保険会社と言うべきか。そこで困り果てた政府が、保険会社に無理やり保険を引き受けさせるために作った法律が、プライス=アンダーソン法である(1956年)。これは、原子力災害に対し、5億6000万ドル(当時のレートで2000億円余り)を上限として保障する、その内6000万ドル(216億円)を民間の保険で、5億円(1800億円)を政府が補償しましょうというもの。この民間の6000万ドルも、保険会社の連合組織が原子力保険プールとしてやっと掻き集めたのがこれだけだったからに過ぎない。つまり、これ以上の保障は不可能と拒否したのである。
ところが一方、当時の政府機関が算定した原子力災害の被害予想額は、なんと70億ドルであった。70億ドルの被害に対する補償が、その10分の一にも満たない5億6000万ドルという不可思議。十分な保険もないまま、原子力開発は強行されてきたのである。そしてこの状況は、今も変わらない。

では日本はどうなのか、次に見ていこう。
日本における原子力保険・賠償制度もその成立の経緯、内容は基本的にアメリカと同 じである。1961年に制定された「原子力損害の賠償に関する法律」(原賠法と略す)の第一条では、「この法律は、原子力損害が生じた場合に…被害者の保護を図り、及び原子力事業の健全な発達に資することを目的とする」と定めてはいるが、後者の「原子力事業の発達」に重点が置かれていることは言うまでもない。
原賠法の中身は、電力会社が保険会社と契約する「原子力損害賠償責任保険特約」、 国と契約する「原子力損害賠償補償契約」の二つに分けられるが、やや煩雑なのでここでは単純化して考えたい。(詳しくは引用文献を参照のこと)
  無制限 ┃        ┃     ◆原子力損害の賠償制度概要◆
      ┃国の補償( 援助) ╂─────────┐補完 
 ※50億円 ┃        ┃   免責 ・正常運転による損害
      ┣━━━━━━━━┫        ・地震、津波、噴火 
      ┃  電力会社  ┃       ・損害発生から10年以降の請求
      ┗━━━━━━━━┛

※ 1961年法制定時、'79年改正 100億円、'89年改正 300億円 
原子力損害に対して、電力会社は50億円(現在300億円)を上限として賠償責任を負う、これを越える場合は国が補償する(結局われわれの税金だが)というのが大まかな内容である。このため電力会社は保険会社(日本原子力保険プール)に、毎年保険金を支払っている訳だ。
では、この原賠法で特に重要な問題点として ●賠償額 ●免責事項の2点について詳 しく検討する。
                   −「原発と保険(2)」につづく− 

★引用文献:池野 高理 著 「保険社会」 技術と人間刊
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「 ことの葉 −ある言葉の記録− 「                               ■六ヶ所村にて
◆電気事業連合会々長小林庄一郎(当時。元関西電力社長)

---1984年7月、六ヶ所村に対し核燃料サイクル施設の受け入れを要請

 「六ヶ所村、むつ小川原の荒涼たる風景を見て、われわれの核燃料サイクル施設が
まず進出しなければ、開ける所ではないとの認識を持った。日本の国とは思えないく
らいで、よく住みついてこられたと思う。いい地点が本土にも残っていたものだ。」

◆元六ヶ所村々長寺下力三郎

----1985年10月、東京原発裁判集会にて  

「東京や大阪など都会の皆さんに申し上げたいことは、東京や大阪の繁栄が皆さんだけの力で築いたものではないと。私は文句は言いませんが、日本の『僻地』が皆さんの犠牲になっていないか。せれを踏み台にするようなお考えで、高度成長や経済発展の利益を得るなら、せれは都会の方々のおごりであると。田舎をいじめて都会の方々が腹いっぱいになるというのは、これはこの際、遠慮していただいて、『僻地』や『僻村』も共に食べていけるような国を築くべく考えていただきたい。」

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「

NIMBY症候群:Not In My Back Yard の頭文字。「原発やゴミ処理場など、必要だとは思うけれど、俺の裏庭に作るというなら反対だ」という意味。

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