2003/02/01

市民共同発電の歩み 

中央集権から地域主権社会の未来へ


私たちが日本で初めての「市民共同発電所・ひむか1号君」を宮崎県の串間市に始めて設置してから8年がたちました。この間、自然エネルギーを取り巻く状況 は劇的に変り、今でもそれは進行中でです。

「市民共同発電所」とは、市民が自らの責任において自らの負担で自ら使うエネルギーを作るというとりくみです。1994年の第一号設置から、八年を経て、 現在、全国で50カ所を超えるまでに広がっています。この間のとりくみの
実践をつうじて、市民が直接参加することによる電力の民主化=日本は今まで無かったパブリックと言う概念の確立の可能性などを感じるとともに、多くの課題 もあきらかになってきました。ここでは、私の関わったプロジェクトのとりくみを紹介し、太陽光発電の普及とそれをつうじた地域社会の内発的発展の可能性・ 課題について、検討してみたいと思います。

文責:「太陽光・風力発電トラスト」運営委員・中川修治

日本ではじめての市民共同発電所。それは九州の片田舎・宮崎県串間市で始まりました。

市民共同発電所「ひむか1号」くん

当時、九州電力が原子力発電所の立地候補地としていた串間市の市木で原発の反対に声を上げようとに県内外の市民が50Wほどの太陽電池パネル70枚ほどを 持ち寄り、「太陽光・風力発電トラスト」という市民団体を通して運営者の三戸サツエさんに貸与し共同で発電所を作ったのです。

このプロジェクトは、「電気は電力会社から買うものだ」と言うそれまでの常識を覆すものでした。つまり、送電線につながったところに自分の所有する発電設 備を持てば、その分の電気は自分が作っていると言うことになることです。

仕組みはいたって簡単。みんなで発電設備を作って環境負荷の無いきれいな電気を作って逆潮流で電力企業の汚い電気(汚い理由はCO2と放射性廃棄物を副産 物として作るから)を押し返すと言うものです。電気の消費者でしかなかった私たちが自ら生産者になることでした。これは自立の第一歩でした。

※「発電による環境負荷の大きい電気――CO2や放射性廃棄物を副産物としてつく るため、私は「きれいな電気」にたいして「汚い電気」と呼んでいます

ただ、経済性が劣っていました。投入した資金の回収には50年以上も掛かるかなと言うものでとても事業と言うには程遠いものでした。ただ、企業や国によっ て原子力を押し付けられようとしていた地域の人たちにとっては、別の未来を選択できると言う事が分かるという大きな意味を持ちました。

このプロジェクトで市民共同発電所の共同出資方式という大枠の基本が出来ています。ただ、このプロジェクトでは当時、高価だったインバーターの資金を負担 した三戸さんに年間10万円ほどの売電収入を寄付する形としたために参加者には直接売電収入を配分できませんでした。
※当時の設備費は3KWで600万円発電原価は225円です。5万円に対して支払われるのは年間500円ほどにしかなりませ んでした。2003年時点では発電原価は60円ほどになってきています。
この後、2年ほどは注目は集めたものの何処にもこうしたものは出来ませんでした。わざわざ儲からないものに金をだしてまでやるとう酔狂な人は多くなかった のです。市民運動も反対運動が中心で自ら土俵をつくるというドラスティックな運動を進めるほどには成熟していませんでした。

ただ、ここで提示されたのは

1.パネルをもつと言うことで市民が自らの責任において自らの使うエネルギーの生産
2.一極集中ではない電力供給の有り方
3.反対運動ではなく責任をもった代替案の提示
4.多くの人の原発では無い発電所をという思いの具体化

 などであると思います。しかし、問題点も明らかになりました。

1、人々の善意だけの自己満足では限界がある
2、先行プロジェクトほど損をしないといけない
3、人は自分に利益が直接返って来るものにしか金は出さない
4、してもらうことに慣れすぎた多くの人たち

という、ま、当たり前の事です。こうした状況が変らない限りそれが広がるのは難しいことが分かりました。原発問題も電力側の都合で凍結となり串間での運動 は一応の終焉を見ました。

一方、国はこの間に太陽光発電設備製造事業者を支援する設置時補助金制度を始めました。しかし、この補助金制度の様々な問題は後から明らかになります。

市民事業として市民共同発電所「てんとうむし1号」くん誕生

状況が少し変ったのはCOP3が日本で行われることが決まってからです。その北側に15基もの原発がある滋賀県で先の運動をさらに進める新たな取り組みが 始まりました。収益性のある市民事業として発電所経営を行おうというプロジェクトが始められました。

設置場所となる屋根を提供したのは、あてがいぶちの福祉ではなく共に働く場をつくり自立した生活をつくろうと障害者も共に働く株式会社なんてん共働サービ スでした。このプロジェクトには呼びかけに応じて滋賀県内の主だった環境保護運動や市民運動の主要メンバーが参加しました。

勿論、取り巻く状況を考えれば事業化はまだまだ無謀であることは確かでした。しかし、このプロジェクトは敢えて、その取り巻く状況への問題提起を含めてリ スクを覚悟で始められ、COP3の開催年の6月には運転を開始しました。そして11月には同じ滋賀県に安曇川町に次のプロジェクト市民共同発電所 「大地ー21」が完成し、環境負荷の無いきれいな電気を社会に供給し始めました。(翌年には滋賀県で3つ目の市民共同発電所「じゃがいも1 号」くんが発電開始)

この二つのプロジェクトは新聞やテレビで報道され少しは注目を集めましが、状況を根本的に変えるには至りませんでした。ただ、市民共同発電所の方向性はこ れらのプロジェクトが提示しえたとは思います。この時期から全国各地で市民共同発電所をつくる運動が盛り上がり様々な運営方法による市民共同発電所が出来 てきます。現時点で全国で50を超えるプロジェクトが動いています。

ただ、この後に続く各地のプロジェクトが、先に滋賀県などで始められてプロジェクトが提起した問題を引き受けているかどうかと言えば決してそうではないの が残念です。

設置時補助金の問題点
設備が工業製品であるために後から買ったほうが安く買える。補助金制度ではその制度以 前の設置者は対象にならない。投下資金は運用=売電によって回収されるがこの売値自体は電力企業の好意によるもので保証されたものではない。
現在の電力企業による余剰電力の買い取りでは買い取り価格の低下を防げない。現に、政 府の新エネルギー促進法(通称RPS法)に決められた電力企業の新エネルギー利用に実績に余剰電力分の権利を無償で譲り渡すことが求められている。また、 普及量が増えれば当然、そのコントロールのために買い取り価格を下げるのは目に見えている。
過去に意識的になされた不正とメーカーによる不正の二つがある。このうち意識的になさ れた不正はあまりに高額であるために業者が設置者にお金をキックバックする方式でなされた。領収書が発行されていればその半額などの補助金が出ると言う場 合に起こった。メーカーによるものはパネルの出力自体を偽ってなされたものである。これを行ったメーカーはその後、ペナルティーを受けたが、後に述べる支 援の方策ではこうした不正は起こりえない。
【参考】 家庭用太陽光発電設備普及と国の補助金制度(1994〜2003)まとめ
      http://www.watsystems.net/~trust/hojyokin2002matome.html
上に述べたように問題を解決し、すべての人が自分の使う電力を自ら作れるようにしようと、滋賀県の2つのプロジェクトでえは1997、98年の二回にわ たって県への自然エネルギー振興策の提案をいましたが、残念ながら成果を具体的に勝ち取ることは出来ませんでした。

※この提案はドイツで試行されたアーヘンモデルの日本版を県独自で実施するように求めた画期的なものだったが、当時の知事(提案は知事に直接出された)は その価値を十分に理解することは出来なかったようだ。また、議会議員の皆さんも政策というものがどういうものかを十分に理解されておらず、これを積極的に すすめようとする方がいなかったことに原因が有った。これは、日本の根強いパターナリズムの限界を示している。

その理由を考えてみました。

1.生産財である太陽光発電設備を消費財と同じように考えられている
2.設備の設置が目的化している(本当の目的は環境負荷の無い電力の生産です)
3.環境に良い事をやるのはボランティアーで良い気持ちになれる(これを偽善と言うこともある)

と言った点にあるように思われます。

一方、国のほうもこうした運動を利用しようとして一般家庭用にしか出していなかった補助金制度を変えて出してきています。有ろうことか、私どもが「公平で 公正な制度」として滋賀県版アーヘンモデルとして具体策も含めて提案をした滋賀県すらが、「不公正で不公平な制度」を実施してしまっていることは返す返す も残念なことです。

確かに設置時補助金は見かけ上初期投資が少なくて済むので経済的には各プロジェクトは楽になりますが、将来、電力企業が買い取り価格を下げるなどした場 合、結局その事業の収支が悪化してしまうのです。これが各地のプロジェクトでの公平性・公正さを阻害してしまっているのですが、当事者の多くが設備の設置 だけに目を奪われ、設置する事それ自体を目的化してしまっていることには気が付いていません。善意を買い叩くこうした補助金を無批判に市民共同発電所を名 乗る多くのプロジェクトが受け入れている事が残念です。

一方、滋賀県での先行プロジェクトは運動の方針を設置を進める運動から、だれもが設置を進められる方向へとシフトします。これは日本の設置時補助金政策の 限界と不公平性が明らかになってきていたからです。この頃、後述する自然エネルギー先進国ドイツではアーヘンモデルと言われる支援制度が作られます。

アーヘンモ デル=発電原価保証方式・フルコストペイバック支援策の概要

自然エネルギーへの投資資金の回収を買い取り価格の保証で行うもの。太陽光発電 設備の場合は20年間の運用を前提に初期設置支払い費用を借り入れ金利分を加えたものを20年間の予想発電量で割ったものを発電原価として20年間、買い 取るというもの。借り入れ金利をも保証する理由は屋根が有ってもお金の無い人が設置できる条件を整えていると言うこと。これなら定期預金するのと同じ事 で、それは社会の資金の流れを自然エネルギーの変換装置へと固定化する流れをつくるというものである。

フルコスト支援策をとれば、損をしないので誰もが喜んで太陽光発電設備を購入する。そして、太陽光発電装置は工業製品なのでその生産量が増えるにしたがっ て価格の低下を引き起こす。誰も損をしない仕組みなのだ。

日本の設置時補助金と異なるのは20年間の買い取り保証である。太陽光発電設備の設置を誰もが予測している価格の低下によって買い取り価格が下がり損をす るというリスクが無い投資商品としたことである。(これは現在の株みたいな投機商品ではない。実体として電力と言う財が生み出されるのであるから・・・) 言い換えれば、きれいな電気は汚い電気よりも見かけでも価格上価値があると認めていることになるです。

(この制度はアーヘン市の一条例でしたが、一昨年、原発の段階的な廃止を決めたドイツはこの制度をドイツ全土へと拡げました。地方から具体的制度が提案実 施され、国の法律自体が変わったのです。これこそが地方分権、いや、本来あるべき地域主権的な新たな政策の決まり方でもあるでしょう)

全国初の発電原価保証策を一部だけど実現

既に一昨年にになりますが、滋賀県が募集した市民事業支援の事業で、公的な資金を初めからそうした使い方をすると明言し予算を獲得、発電原価保証方式を一 年限りだが試行しました。これは、日本のエネルギー政策上、地域独自に新たな枠組みに公的資金が使われた画期的な成果だったと思います。

ただ、この事業もも、原資が予算と言う枠でしか考えられない日本の制度の特殊な事情とこの発想を十分に理解できない地方政府の首長の理解力の限界から制度 として獲得することは出来ませんでした。(勿論、これを十分に理解できるようレクチャーできなかった我々の限界もありますけど・・・)
※この事業は現在、「びわこ・お陽さま基金」が、運営主体となって、後発プロジェクトが受け取った補助金と同額を基金へと寄 託しそれを原資として続けられている。
ここで私どもが再度、認識したのは

1.予算主義では無く結果=決算を重視する制度への変更
2.自然エネルギーの振興には現場に近い地方行政府(自治体)の役割の重要性

だったと思います。

こうした成果を全国の皆さんに共有してもらおうと2001年8月には、関西の市民共同発電所の仲間達の呼びかけで初めての市民共同発電所全国フォーラムが 滋賀県大津市で開催されました。このフォーラムには既に発電所を作っている方々やこれから発電所を作ろうとしている方々が全国各地から参加しました。

ここでの分科会で提案されたのが、現在、私どもが研究をすすめ構想しているのが自然エネルギーと地域通貨をLINKさせたプロジェクトです。

自然エネルギーに基礎を置いた地域社会の内発的発展へ

現在、日本の地域社会が抱える問題は、以下のように要約できるでしょう。

一極集中型の産業資本主義発展モデルとして、中央官僚が政策を立案し農村社会から人材と資本を都市へ投下して産業資本を育成し物質的に豊かな消 費社会を成立させた。それは貧しいものの自立的な安定的な田舎の地域社会から都合の良い部分だけをつまみ食いしながら企業社会が発展したと見ていいでしょ う。

さて、仕組みとしてはこの資本と言うものは国家による信用の供与によっています。人によっては国家独占資本主義とも言いますが、所謂、管理通貨 制度ですね。実はここに戦後の経済成長の秘密がありました。

この管理通貨制度では常に実態経済以上の通貨が供給されてきました。これをインフレ政策と言います。こうすることで実体経済を管理下に置くこと が出来たのです。実際の支配権を持つ社会的階層=資本がこの枠組の中で生産・消費という経済活動を行う為のインフラストラクチャーを整備することを求めた のです。

インフレ政策を取れば目減りを恐れる資金は市場に出てきます。何故なら、たんすに置いておいても目減りしますから・・・。個別的な欲求を社会化 したのです。価値が下がるのを恐れる資金の保有者から資金が出てくる様な枠組を作って資金をコントロールするようにし、そして、大蔵官僚が一角を占める日 本のエスタブリッシュメント=支配層はこの仕組みで戦後50年の日本と言う社会システムを運営してきたのです。

まさに金融資本による国家総動員体制が敷かれたのです。(だから官僚中の官僚は大蔵に集まったのです)

それを支える為大量のエネルギーが、中でも石油が戦勝国アメリカの作った枠組の中で安く供給されました。これは戦後の大量生産・大量消費・の使 い捨て世界経済をささえたのです。今回の中東におけるイラク戦争に関してもこれは言える事です。

化石燃料とは地球の生態系が人間とは関係の無いところで数億年にもわたって蓄積してきた太陽エネルギーの缶詰を人類は一方的に掘り出し使って捨 てるだけの産業資本文明がこの世界を支配しているのです。

そして、人間の欲望に答えるべくデザインされた都市は巨大化しました。なかでも国家の中心がおかれた東京は世界でも最大級の都市になりました。 欲望の再生産の為にマスコミが動員されました。テレビ、ラジオ、新聞、週刊誌、メディアはその欲求の充足の為の僕でした。

 この間、田舎=農業経済系の地域社会は捨て置かれたのです。いや、収奪されつづけたと言った方が正しいでしょう。太陽エネルギーを 固定化する農業はその結果を利用する工業との競争はどう考えても勝負にはならない事は明らかでした。さらにそこに住んでいた人間は手っ取り早く欲望を満た す為の金を儲ける為に仕事のある都会へと自発的流失(=人材の収奪)が起きたのです。

人口の動態では既に止まっているように見えますが、本質的な富の一方的な流れ方、システムは今にいたるも変わっていません。むしろ、そこい多く の人々が住んでしまったことで都市の過密化が進み問題を大きくしています。大きくなりすぎた都市は世界中の周辺部を支配下におきますます大きくなっていま す。都市に住むのは大量の生産から引き離された消費者に成り下がった郷土亡き人々の大群でした。そして、多くの都市の囚われ人は目の前に差し出される消費 財に翻弄され続けているのです。

それを支えたのが再生コストを含まない安い化石燃料でした。

しかし、この文明の在り方が物質的にみて持続可能でないことは確かです。

一方、今のシステムでは電力などの基礎財などを電力企業などの地域外の資本に依存する限り、地域からの資金の流失を避けることは出来ません。こ れまではその根本的な問題を、地域は中央からの補助金で下支えしつつ顕在化させることなく問題を先送りしつつやってきました。しかし、もはや、比較優位で 海外へ製品を輸出してその差益で企業が利益を上げその一部を中央政府を通じて補助金を地方に出せる状況にはありません。

こうした右肩下がりで既存の振興策が通じなくなった状況の中で、持続可能な未曾有の高齢化地域社会を支える仕組みをつくりつつ持続可能な安心し て暮らせる仕組みを作るにはどういう方策を採るべきなのでしょうか。

これまでと同じ分業制度を採るべきなのでしょうか。それは何を齎したかを考えれば既にそうした発展策が破産していることは確かです。むしろ、外 へ何かを売るのではなく、地域の自給力を高めることを考えるべきではないでしょうか。今、地域が自給できなくて外に依存しなければならないものを自給でき ればそれは地域での暮らしのセイフティーネットとなるでしょう。

未だ手付かずで地域に残っているのは自然エネルギー資源を基礎とした域内経済循環をささえる仕組みをつくることこぞが、人材も資本も地域の外に 出て行ってしまって地域社会に残されたこれは最後のチャンスなのかもしれません。

それは人と人を繋ぐお金の仕組みをも変えねばなりません。そして、それを根底で支えるのは、やはり食料とエネルギーです。(食料は人間と言う生 物にとってのエネルギーです)

そしてプロジェクトは市民共同発電所などの自然エネルギーの変換装置に固定化された実体資本が生み出す新たなエネルギーを基礎に置いたものとならねばなら ないでしょう。また、それは地域経済も豊かになるべき方策でなければなりません。それは既存の電力企業からの電気を使えば使うほど地域から富が逃げ出すこ とに対しての疑問から考えられたものです。また、今の通貨が持つ根本的な欠陥を現実的に是正することも目指しています。

現在の通貨の持つ根本的な欠陥は減価しないということです。通貨は物やサービスの交換の手段なのですけど、何故か、モノやサービスは減っていくのに通貨だ けは不思議なことに金利が付いて増えていってしまうのです。

自然エネルギーの現場はいずれもそれが実現する現場=地域です。ならば、その現場からの発想が最も大事なのだと思います。そして、それに関わる地域の人た ちがどう自らの地域の資源を生かしていくのか。そうした発想をもって各地で普遍的な制度を獲得することが次の時代を拓くのだと思います。

それはこれまでのようにある地域が別の地域を搾取すると言う構造では決してなく、制度のデザインでそれぞれが地域の生産力を強めることが出来るのもので す。

補助金は目先では確かに安く出来るのでお手軽なのですけど、それは実は価値あるエネルギーを安売りさせられていることを看過することになるのです。この問 題を考える時、皆さんは設備の設置だけを目的化されないようにと思います。

(この項続く)