2001/05/01 筆者からの了解を得て公開

農地の風力発電は農協で


〜なぜ田んぼに風車ができないか〜


(瀧田隆夫)

日本でもようやく「電源開発株式会社」のような本格的電力系の大企業が秋田県仁賀保町の県有地に大型風力発電団地の設置に着手した。大企業必ずしも地方にとって望ましいものといえないとしても、風力発電事業が大企業も参入する程有望な展望が見えてきたとして評価できる。

風力発電は太陽光発電が都会、地方を選ばないこととは異なり、その電源となる風と規模的性格により地方の農山漁村に限られる。もっとも、自然エネルギーといわれるものは太陽光発電以外みなそうである。

いままでできた風力発電は、これまた山とか岡の上ないし海辺で不便なところが多い。日本では農地に囲まれた風力発電の話を聞いたことがない。不便なところにしか風が吹かないのかと疑わしくなった。そのようなことはなく、風は気象図をみても満遍なく吹く。でも風力発電は地方自治体の所有地に集中している。

風力発電が出現し始めたころ、その推進者たちは全国の地方自治体の所有地で風のよく吹く地域を求めていた。だから新エネルギー財団は風力発電の適地を「地価が安く風のよく吹く所」と推奨した。実は風が採算取れる最低限吹くならそれ以上の風速による発電量は土地の独占的性格により差額地代を形成し、企業利潤ではなく、地代として土地所有者に支払われる。新エネルギー財団の推奨はそれを見落している。風がよく吹けばそれだけ地価は高くなる。その地代は土地所有者に帰属するから地価が高くなる。このことはこれまでに度々指摘した。にもかかわらず、その地代を土地所有者以外の進出企業が取得するのは新たなる地域収奪であることも指摘した。

地方自治体の土地は特殊の場合を除き農地以外の山林、原野、牧野跡である。最後の牧野地とは農業が化学肥料、トラクターに頼らず、専ら牛馬に依存していた時代、その牛馬を農閑期草原である牧野に放牧した。その土地は村の共有地であり、放牧の必要がなくなった後は地方自治体の管理となった。こうした土地は数十ヘクタールにおよび、風力発電による風の影響はその面積内に収まり、他人の所有地に影響を及ぼすことがない。

ここに風力発電導入を図る新エネルギー財団が目標を定めたのである。だから風力発電の導入は自治体が主流となり、最近大企業が自治体より土地を借入し、大型風力発電団地であるウインドファームを建設することにより風力発電は劇的に発展した。ただし、これにも問題あがある。その借入した土地をその企業が農地転用の申請するといっている。そうすると最終的にはその放牧地跡が企業の占有することとなろう。

あまり収益力もなく、管理費も出せない山林牧野に風力発電ができ、第三セクターなりで収益が自治体にはいるのはプラスである。なによりも炭酸ガスが出ないエネルギー源として推奨されることである。正常な地代が支払われるなら筆者も大賛成である。

その推奨すべき風力発電が田んぼや畑にはどうしてできないのであろうか。風力発電の先達者であり、日本でも多数学びにいったデンマークの風力発電においては、牛が草食む牧場に風力発電が回転し、麦畑にはポツンポツンと風力発電が見え一つの田園風景をなしている。

ところがその風景は日本の田園にはみられない。デンマークの農村には風が吹くが日本の農村に風が吹かないということはありえない。「風が強い外国では」と某有力月刊誌に風力発電反対の著名科学者が書いたが、台風の毎年襲来する日本で特別風が弱いとは考えられない。現に農地以外には多数の風力発電が建設され、また予定である。

問題は土地所有制の違い

日本とデンマークの農村の基本的相違は土地所有制度である。すなわち、デンマークでは他の西洋諸国と同様に大土地所有農場制度である。すなわち、農地は住居とともに農場を形成し、一ヶ所に纏まっており、しかもその面積は少なくとも数十ヘクタール、多いと数百ヘクタールに及ぶ。その農場主が自己の農場内に風力発電機を二?三基建設しようが、それによる風の乱れが他人の土地に及ぶようなことがない。

それに比較して日本はどうであろうか。日本の土地所有制度は分散零細農耕といわれ、戦前の農村を支配した寄生地主を解消した戦後の農地改革でも、分散零細農地制は解決されず、残された農業問題といわれた。

この分散零細農地制も、農業が衰退し農家が生活できず跡継ぎに困り、農地を捨てて都会に移住する時代、都会育ちの方には理解されがたいので若干の説明をしておく。

分散零細農地制を具体的にいえば、小さな面積の農地、たとえば百平米、一アールを一畝といい、もっと狭い場合もあるが、これを一筆として台帳記載の単位となる。大きければ一畝の十倍の一反歩ということもあり面積は一定しない。このでき始めはおそらく水田の湛水用クロ(昔は毎年水田の土でつくり、現在セメント)に囲まれた単位でる。これはクロこそないが、畑地にも適用されてきた。

この一筆一筆を加えたものがその人の所有面積となる。作物はそこに作られる。ところがこの筆は所有権の単位であるから売買が可能である。これは明治五年の地租改正により確立し百年以上続いている。

となると一農家で数筆所有すると最初は纏まっていても、売買があると農地は分散することになる。だから戦後の土地改良では営農効率のため、分散した農地を交換分合といって、機会があるごとに纏めるようにしてきた。とくに効率を重視する大農経営には必要であろう。現在の大農経営でもトラクターをあちこち道路を移動させて自分の農地を耕作している。

そこで風力発電との関係である。土地を耕作しないのであるから、土地所有と風力発電が関係するのはそれに要する敷地程度と思われていた。その敷地面積は回転翼の回転面積と考えられた。デンマークがそうである。ほぼ十アール程度という。

農地の風力発電では共同が必須

ところが日本の分散農地制でも、十アール程度の纏まった農地は大抵所有しているので建設は個人の意志では可能のように見える。だが現実の問題はその風の影響が及ぶ範囲を考慮にいれなければならない。これにより敷地面積があるからといって勝手に建設できなくなる。これは日本の風力発電における先覚者牛山泉教授の説であるが、その風の影響範囲は回転翼直径の十倍という。デンマーク風力製造協会の資料によると、回転翼の直径は出力により決定されるが、六○○KWで四四メートル、一千KWで五二メートルであるから、風下影響範囲は前者で四四○メートル、後者で五二○メートルとなる。風向きが正反対の逆も顧慮しないとならないから、その二倍となる。

風向きは地形により決定されるが、海岸近くの場合、主要で有効な風は立地点を中心とする点対称の鋭角の扇形状となる。鋭角となるのは平均すれば風向きが直角までぶれないからで、その角度は地形による。

仮に、最小に見積もって風向きを固定し、回転翼の幅だけに限定した影響としても、その影響面積(牛山教授は占有面積という)は六○○KWで二ヘクタール、一千KWで二・七ヘクタールとなる。だが、実際は逆向きの風も起こり、風力発電機は自力で風向きに対応する。逆の風となっただけでも影響範囲は倍増する。それが揺らぐので前述した立地点を中心とした線対称鋭角扇形に外接する短冊型矩形となる。その面積は少なくとも六?七ヘクタールとなろう。実際には立地点の風況調査と採用する機種の出力により決定される。

こうして決定された影響面積内には新たな風力発電を設立することはできない。すなわち、その農地所有者の風力発電設置ないし貸与の権利が奪われることになる。これは金銭で解決されなければならない。それは幾ばくの金銭になるかが計算されなければならない。

さて、最初の建設者が自分で建設しようが発電業者に貸そうがそれは影響受ける土地所有者に関係はない。問題は新たに建設する権利の喪失である。それの金銭的評価が地代となる。問題は貸与する場合取得する地代であることが、ここで明らかになった。要するに風力発電による地代収入を、敷地を含めた影響を受ける全農地所有者と分配すれば解決をみる。農耕のできなくなる敷地面積の所有者は、風力発電により生じる地代からその損失分の補償を優先的に受けることのできるのは当然である。

こうした地代問題があったため、農地への風力発電の農地への導入が進まなかった。実は地代問題は本誌で以前筆者が指摘したが注目を浴びることなく、神奈川県三浦農協の風力発電導入で現実の問題となったのである。

ところが、自治体所有の土地には第三セクターであれ、大企業への貸与であれ、風力発電の建設は急ピッチで進んでいる。最近では工業団地建設に失敗した青森県六ヶ所村の第三セクターでも、風力発電に用地を貸与してウインドウファームが建設されるという。いずれにしても地方自治体関係の土地である。風力発電設置に関して、農地とどこが異なったのであろうか。

それは自治体所有の土地が大きく纏まっていたという一事に帰する。もっとも元々共有地であった山林は農地程細分化されていなかった。原野も同じである。山林でも有機肥料用の里山はある程度分化されていた。自治体所有の広大に纏まった土地に建設すれば、意識しなくともその風の影響が他人の土地まで及ぶ確率は低い。

また、山林の場合建設場所選択が地形上も限定されていたことと初期のため、他所有者野山林に影響がでるということは問題意識にもならなかった。

以上デンマークの農地や日本の山林原野には風力発電ができているのに、日本の農地にできない理由はその分散零細土地所有制に起因することが明らかになった。

ならばどうするか。残された道は明らかである。一基で影響を受ける農地所有者全体が共同出資で建設すればよい。出資額に応じた配当とは別に、そこで形成される地代を面積に応じて分配する。

風力発電建設目的で企業に貸与する場合も土地所有者の合意を必要とし、地代の分配は同様である。しかし、自分達の農地に風車を建設できる程度の資金は農家にあるはずである。現在は電力会社との事前契約を必要するから売電価格が安定しているし、将来自由化されたとしても風力発電による電気を望む消費者は多数おり、売電の心配はない。土地の貸与による地代収入を求めるより、農地所有者による共同発電により地代を含めた副収入を獲得することが農業維持に貢献する。機種、風速によるが毎年の売電額は一基当り一五○○万円は堅かろう。

地代については最低採算風速が六メートルではあるが、同出力の発電機価格が低下し建設単価が下落すれば、売電価格に変化がないかぎり、最低採算風速は低下する。その風速差による発電量は差額地代となり土地所有者に帰属することはいうまでもない。

農協の役割

風車一基建設するにはその影響する農地の所有者の同意が必要なことと面積に応じた地代を支払わなければならない事が明らかとなった。

その調停ができるのは農地所有者の組織である農協か土地改良区である。どちらでもよいのであるが、経済が絡むので農協が土地改良区、地方自治体と連繋するのがのぞましい。農協に期待しなければならないことが他にもある。

それは農協が参入してない風力発電建設の現状では、地域の自治体を含む土地所有者の利益が損なわれている。

第一に地代である。風力発電の学術団体であり、普及者でもある日本風力エネルギー協会のシンポジュウムに出席した筆者が設置者でもある大企業の報告者に「地代を教えてください」と質問したのに対してにべなく回答を拒否した。これで地代の計算をしてないことが明になった。新エネルギー財団の資料にも地代の説明がないばかりか、全国自治体に送付した「風力発電システム導入促進の手引」平成十年版には「地価が安く風の強いところはよい」と記してあるところからみると地代の概念さえ理解がないのかという疑いさえある。そして業者は「地代は既存の農地の地代」と一方的に決め、風力発電により生じた差額地代を考慮しない。とくに発電量は風速の三乗に比例するので風の強い地域の差額地代は急増する。この地代無視は大企業に限らない。コンサルタントも同じである。貸与する地方自治体も気がついていないだけである。その上借りた企業の名で農地転換の申請をしている例もある。風車の耐用年数は十七年の長期であるだけに土地の権利を失う恐れもある。

第二に自治体等が取組むときの発電機の導入価格である。なぜかみな輸入品なのであるが、それが最近でも輸入先の国内価格の少なくとも二倍以上する。それもマチマチである。談合していないことは分かるが高いことにかわりない。

第三にコンサルタントがはいるのはよいが、IT時代なので地元の仕事となるべき管理業務まで、都会にもってゆく。一年二百万円程度なので目立たないが、十七年の契約であるから軽視はできない。

こういった風力発電の地域への導入に伴うマイナスを防ぐため、農村への風力発電は集落の農地を熟知する単協から輸入業務をもつ全国段階まで一丸となって新規事業に参入すべきであろう。むしろ農協理念からいえば責務といえよう。とくに水田等所有が細分化された農地への風車建設は農協の指導なくしてはできない。

また、この事業は大規模化する農協にとっては、地域ごとの農地所有である農家の土地という物的基礎をもつ事業組織となるため、組合員組織の強化に役だつ。

すでに単協としては神奈川県三浦市農協が経済連の応援を得て取組みを開始した。
 

※ 初出 「共済と保険」 2000年 12月 

風力先進国デンマークで何故、風力発電が進んだか・・・。秘密はこうしたところに有るのだろう。設置される地域にその生産された富がもたらされるという地元資本優遇という政策があったから・・・。(これについては他のファイルで指摘されている)

今、日本で風力発電をすすめている一番大きな勢力は、商社などを中心とした地域に住まない近代的都市資本である。電力はむしろ、これを嫌っている。理由は、不安定な電源だから・・・。

電力産業における他の産業分野との特性の違いは、何かと言えば、瞬時に需要と供給をマッチさせなければならないと言う点に有る。出力調整の利かない原発を抱え込み需要の低い夜間に電力需要をどう下支えするかに腐心する電力にとっては、この風力発電は敵のようなものである。

おそらく原発反対派なんかよりもっと怖い存在である。これが社会全体の総発電設備容量の20%を超えれば、彼らは、ベース電源として動かしている原発の出力調整をしなければならなくなるだろう。

さらにこの電源は上で指摘されているように既に経済性では既存の全ての電源を下回り儲かるのである。そうでなければ利にさとい商社などの資本がここへ参入する訳が無い。地域にとっては送電線はその地域から富を奪うパイプのようなものである。

そして、そうした情報から最も遠いのがそうした潜在的資源をもった地域である。過去の中央集権システムで情報過疎に置かれ人材の払底がそうした地域のもつ根本的な問題である。

本来、こうした地域に情報を提供し、地域の発展に寄与すべき霞ヶ関のパブリック・サーバントは意識的にサボタージュをしている。理由は彼らはその土地に住んでいないからだろう。また、本来こうした資源を生かすために地域から選出されている国会議員と言う税金で碌を食む特別公務員である先生方は、残念なことに補助金をせびり取ってばら撒くことを仕事と考えている。この考え方も、同様であって未来に繋がるものではない。

この日本の問題点は都市に集中してしまった人と資本をどう分散型とするかである。このままでは人も自然も不幸である。地域の内発的な発展に繋がるものとしなければ、自然エネルギーとて人や社会にとっては原発と何ら変わらない荒廃をもたらすだろう。
 
 

「太陽光・風力発電トラスト」運営委員・中川修治