1998/02/17 
原発につぎ込まれる税金の流れを変える 
 
あいも変わらず、日本を牛耳る9つの電力会社の原子力は止まらないまま放射性物質を作りつづけ、我々の将来に負担を押し付けながら動き続けています。また、動燃は看板の架け替えで何事も無かった事にし?もんじゅにはあの金属ナトリュームの保温の為に月に2億円をつぎ込んでいると言う話に、小さいけどきれいな発電所を作っている我々は怒りを通り越して呆れ返り、ため息すら出ます。でも、決して諦めたりはしていません。

さて、ここで提案なのですが、

原発は金の流れを止めない限り、絶対に止まらない事は良くご存知でしょう。総額7000億円にもなる電源開発促進税の大部分が原子力関連に使われてしまう推進構造の中で、その金を目当てに原発立地市町村は補助金で(シャブ付けになていて、援助交際してもらうのが当たり前と)自立への志向を失っています。

※電源開発促進税は全ての電気料金の約2パーセント(44.5銭/kWh)が自動的に徴収されています。これは領収書には書かれていないので一般にはあまり、知られていませんが、電気を使えば使うほど原子力推進に振り向けられる資金が大きくなると言う仕組みで、これは大部分が電源立地交付金や原子力関係の推進費用としてばら撒かれています
こうした実態に頭に来ない日本人は次の世代への責任を放棄していると考えた方がいいでしょう。と、文句を言ってても始まらないので・・・じゃ、どうするかを考えましょう。

この資金の流れを止めるには、この資金を他のエネルギー源の開発に振り向ける方策を採るのが一番望ましい事だと思います。(いつまでも原子力に多くの税金をつぎ込む事は、もう厭だと思っている方が多いのではないでしょうか?)

同じ金を使うなら、一般の人は原発より、風力や、太陽光などの再生可能エネルギーににお金を掛けるべきだと考えています。(ま、中には電力会社や政府の大嘘?に洗脳されている方がいますが・・・)にも関わらず、その地域に一つしかない電力会社からいやいやながらも原子力の電気を使わされていると考えてもいいでしょう。(実際に自分で電気を作ろうとすれば多額の費用が掛かってしまいます。それにも関わらず多くの心有る方がたがこれに取り組んでおられます)

ならば、その思いを実現すべきで、方法はあるとおもいます。

近々、電力側の抵抗は有るかもしれませんが、電力の自由化は進められるでしょう。(むき出しの資本主義の前では原子力に勝ち目はありません。諸外国の例をみれば分かります。最後にこの付けは税金でわれわれに掛かる事は間違いの無い事ですが、能天気で援助交際になれきった日本人は悲しい事に、そこまで頭が廻らないようですが・・・)

で、中央に集められた金が日立、東芝、石川島播磨、熊谷組などのゼネコン、電力といった巨大企業にいい様に使われている事が問題なのですね。

そこで、ここに廻る金を再生可能エネルギーに廻すと言うのがどう考えても最善の方法である事は良くお分かりと思います。しかし、この金の流れ方が此れ迄と同じであっては大企業に支配されたものであってはまた別に過ちを繰り返してしまうかもしれません。(でも再生可能エネルギーはどう考えても分散型でなければならのでそうはならない?とも考えられますが・・・)

今、必要なのは、地方が、地域、が自立へと向かう為に何が必要かを考える力、構想力です。そして、この再生可能エネルギー開発はその良い機会を提供するものだと思います。

権力を担保するのは最終的にエネルギーをコントロールする力を持つ事です。政治的に民主化が進んだように見えてもその実、大きな電力企業やガス会社にその大元のエネルギー供給を握られている限り、真の地域の自立は無いと言っていいでしょう。(考えてみれば直ぐに気がつく事ですが、エネルギーが供給されるのと引き換えにその地域からお金が流出しているのです)

地方が自立へと向かう為にもエネルギー供給の自立は必要な事です。この事を自覚しながら地方が中央に集まる金を奪い返す事が必要だと考えます。また、その仕組みを変えていく中で分権化は必然的に進みます。結局、あれほど大きな中央政府が不必要だと気がつく事でしょう。そして、その支配に屈する事も無くなると思います。自立が進めば中央から補助金を取ってくる為に頭を下げる必要も無いのです。

地方自治体(住民も含みます)に再生可能エネルギーの方策を考えさせ、どう、それを力にするかを考えてもらい、その力を合わせて原子力に群がる力から資金を奪うというのがこれから我々が成すべき事であるのです。

ただ、作られた商品を購入するだけの消費者になっている事にあきあきしてはいませんか?人は自分の人生の主人公にならねばなりません。きれいな電気を作るのはその為の第一歩です。(参加者はみんな未来を切り開くパートナーです。ナウイだけではなく未来のだよ!)

反対ではなく、別のビジョンを指し示す事。それこそが今、必要な事だと考えています。(最近、政治家の諸君は「変えなければ」とは言いますが、その彼らにはビジョンが何にも無い事に呆れます。恐らく「先生」と言われる事に生きがいを感じているので、その嗅覚からそう言うべきだとは感じてはいるのでしょう。でも残念な事に中身が無い・・・)

それぞれの地域で生きる方がたがこの事に気づき、別の自立への方向を模索すれば分散、分権は進められるでしょう。村に、町に、過疎と言われる村や町にこそ、こうした未来への希望があると思います。

この国の未来を考えると、その構成員の責任能力の無さに呆れていまします。しかし、それは普通の人間の能力を超えていると考えた方が正しいかとも思います。中央官僚にすべてを任せて安穏をむさぼればその付けは支払わされるのは当然の事なのだと考えるべきでしょう。勿論、これ以上、支払うされるのはおことわりですが・・・。権力に人は溺れるものです。(私だって、権力を持てば狂っちゃうでしょうね)

彼らの首を挿げ替えればいいと言う話ではないと考えるべきです。完璧でない人間に完璧を望む制度に、それも中央集権的な制度に問題が有ると考えるほうが論理的に正しいでしょう。別のシステムを考えるべきなのだと思います。これは時間は掛かかるかもしれませんが、なされるべき課題だとおもいます。具体的には村、町、市のレベルへの働き掛け、市民の行動が必要だと考えます。

此れ迄は、お金の有るところに労働力しか売る事の出来ない自由に呪われた人間が群がって都市を成立させてきました。(田舎から金の力で追い出されたと言った方が正しいでしょうね)しかし、流れはこれによって変わると思います。いや、ゴミ問題を見ても分かるように、むしろ変えねば我々の生存を支える地球環境自体が持たなくなっているのです。

COP3で分かったのは化石燃料を使った後のCO2という廃棄物の問題です。 これまで、エネルギー問題は資源の問題だと考えられてきましたが、実は、これでゴミ問題だと言う事が明らかになってしまったのです。

豊かな自然と共生する、いや、むしろ、豊かな自然の恵みによってしか我々は生きられないのだと自覚し、それを選ぶ時代になってきていると考えるべきでしょう。 (でも、多くの子ども達が自然の恵みで我々が生きている事を実感できない都市環境の中で生きる事を強制される今の日本でその様に育つ事は無理が有るのかな?)

現状で何もしないのは何もしていない事ではありません。それは食い潰しに荷担している事です。かと言って、駄目なんだと自暴自棄にならないでね。貴方は、生きているし、その頭を使えば何とかできると希望をもってくれても良いでしょう。人間はそうしてこの文化、文明を築いてきたのですから・・・・。

バーチャル・シンクタンク 「未来プランニング」 主席研究員 中川修治   
1998/03/31

上記の件に関連しますが、クリーンエネルギーフォーラム理事の瀧田氏からの話では既にECは将来のエネルギー源を再生可能エネルギーへとシフトする事を決定しているとの事で、これは既にECの報告書に載っているとの事です。(現在、翻訳をすすめているとの事です)
 
彼らは既に次を見越していると言って良いでしょう。前の大戦でアメリカに負けて援助交際してもらう事が当たり前になったこの国は恐らく、自分の力で物事を決める事が出来ないのかもしれません。そう考えれば、誠に悲しい事では在りますが、全ての謎が解けるようです。
 
さて、規制緩和の掛け声の中で、本日閣議決定がされたようです。このうちエネルギー分野では、国際的に割高な電気料金を是正する為、電力小売りの自由化を検討して5月までに結論を出すとしています。

既得権益を守る為に電力は抵抗するでしょう。部分的には大口の自由化が行われ、それでお茶を濁すかもしれません。また、どんな形でするかは分かりませんが・・・、意図的にサボタージュを行う可能性も否定できないでしょう。何と言っても原子力をこれまでに51基も作ってきた連中ですからね。マスコミも動員される事でしょう。

ここで重要なのは市民の監視です。電気事業審議会の監視が行われねばなりません。確か、これは公開の審議会ですから是非、傍聴に行かれると良いでしょう。マスコミの力量が問われていると言っても良いでしょう。

棺桶の中の安楽か?それとも、寒風の中で立つ自立か?いや、お日様の恵みでみんな仲良くやっていけるそんな世界への予兆と見るべきだとは思いますがね。春が来ましたもの・・・。外へ出て胸一杯に春の空気を吸い込んでみてください。

この空気に放射能が混じっていて外に出られないそんな世界に住みたいでしょうか?あなたは・・・。辛い事ですが、このままでは、未来の人間にそうした生活を押し付ける事になるのだと、我々は認識しなければなりません。
  


原子力は 
 
原子力発電は、きわめて政治的な理由から導入されたものです。
(日本に原子力が導入された経緯を見てもわかる。核武装をしたかった国家主義者の頭の旧い権力志向の政治家が、音頭をとって国民の血税がこれまでつぎ込まれてきたのです。)
それは権力にとって魅力的です。

何故なら、権力とはエネルギーを支配する力の事で、それを手にする事により、支配する事が出来るからです。

(権力を手にしたものはその権力を安定的なものとしようとする。その為にこうした力のコントロール権を手に入れようとする。また、こうした大きな仕組みこそが彼らの錬金術にとって、都合良かったという事もある)
確かに、原子力=核エネルギーはこれまで人間が手にしたもっとも大きな科学的成果でも有ることは認めます。
(これまで人類がいや、全ての生命の根元たるエネルギーが大元、太陽からのエネルギーであったという事で、その意味では我々は、核エネルギー=太陽の核融合エネルギーによって生きている状態にあります。しかし、この究極のエネルギー源を地上で使おうというのはあまりに無謀な行為だと思います。さらに、そのコントロール権を誰が持つ事になるのか考えただけでも恐ろしい事です)
核エネルギーの利用は、失敗した時の事を考えれば余りに大きなリスクを背負い込んでいます。
それを選択した人間のみがリスクを負担するというのなら納得も出来ます。しかし、この技術はそこまでのリスクを犯しても良いものとは考えられません。賛成派の方が大した事は無いと言われるチェルノーヴイリの事故で環境中に放出された核物質によって何の責任も無い子ども達、次の世代がどのような被害を受けているか、また今後、受けるのかはもう予測可能な事です。それは利用者がリスクを負う飛行機事故や交通事故と同じ次元で考えるべきものとは本質的に違うもので同列に論じられるべきものでは有りません。 
 
個人的な欲求の充足の為に自分以外の人の権利や安全を脅かすエネルギーを選択して良いものでしょうか?
そもそも、そうしたエネルギーを全く使っていない責任の無い人(例を挙げれば、私たちの子孫=未来の人たちです)にまでそのリスクは及びます。廃棄物が出るのが当たり前だと既得権を前提に話をする事は許されるべきでないと考えます。
使いたいなら使っても良いでしょう。しかし・・・
その為のリスクはそのエネルギーを選択して使う人が負うべきです。一方的に他の方法が有るにも関わらず、いろいろ理屈をつけて、核によるエネルギー供給を押し付けるのはフェアーとは言えないでしょう。
今のエネルギー消費を賄えないという意見に対して・・・
我々は、そのエネルギーを何に使っているでしょう?

再生可能なエネルギー源の利用の為にも用いる事が出来ます。無駄に捨てる事もしています。誰も買わないのに?必要以上と思える多くの自動販売機が林立することが豊かな社会でしょうか?他にする事が無いから?とストレスの解消に?とパチンコやさんでどれだけの電気が使われている事でしょう?過剰に生産された消費財を売り込む為にどれだけのエネルギーが費やされているでしょうか?

価格が高くなれば使う量は確実に減ります。無料のものを節約するなんてのは普通の人間には出来ない事です。現在のいくら使ってもそのリスクがそれからメリットを受けている人間に返ってこない仕組みではその消費量は減りません。本当に使っている方々はそのリスクについてお考えになった事があるのでしょうか?例えば、価格が2倍になっても効率が2倍になれば負担は変わりません。そうした考え方の変更を私は求めたいと思います。
 
リサイクルの効かない廃棄物が出る文明の在り方自体が問題なのです。そうでない文明の在り方を構想すべきだと思います。
 
※ ここまで4月30日午前3時頃、NHK地球法廷にUP済み。 

 
他のエネルギー供給の在り方を
 
これは決して、出来ない事ではありません。因みに太陽光発電で量的には家庭で使う電気の大部分は賄えます。実際に私は自宅に太陽光発電の設備を設置して、家で使う以上の電気を太陽の光から変換して社会に供給する側に廻っています。日本の建物の屋根にこうした設備を設置すれば総需要の5分の1が賄えるでしょう。

確かに現時点では、商用電源と比較するとコストの高い電気です。だから普及しないのです。しかし、多くの人は自分が損をしないなら屋根にこうした設備をつける事は良い事だと思われるでしょう。誰だってそうですね。自分だけは損をしたくない。

国ではこうした再生可能エネルギー普及の為に補助金を出してはいます。しかし、この補助金は先につけた人が損をする最悪の?制度です。これはそうした製品を出すメーカーを育てるものであって先行設置者は犠牲になっています。 (だれも自分だけが他の人より損をしてまで環境に負荷のかからない生活をしようとは考えていません。ま、こういうことをする人は変人ですね)
 
ならば、環境に良い事をしている人が損をしない仕組みに変えれば良いのです。現状の化石燃料との競争力を高めるで補助金では無理ですね。

また、化石燃料に関しての補助金などの優遇策は取られるべきではないでしょう。また、核エネルギーに関しても立地自治体に迷惑料のように出されている補助金のたぐいは、本来は出されるべきものではないでしょう。現在の補助金の枠組は、都市がかつて傾斜生産方式としてインフラ整備の為に先に分捕ったお金を後から儲かったから出してあげる、でもその代わり、ゴミが出たのでこれを引き受けてよと言っているだけの事。全く、酷い話じゃありませんか。

本当ならば、原子力の推進に使われてる費用と少なくとも同額がそれぞれの地域特性を活かした再生可能エネルギー開発施策に使われるべきでしょう。これまでに何兆円というお金が原子力に投入されてきています。それにも関わらず、原子力は化石燃料よりも安くはなっていません。確かに化石燃料消費のほんの一部がそれによって代替はされていますが投入した金額に比べてその効果はそれほど大きいとは言えません。 (この具体的な数字に関してはttp://202.218.225.66:80/trust/kosut.html及びhttp://202.218.225.66:80/trust/n-cost.htmlに掲載された原価に関しての情報を参照されたい)

再生可能エネルギーのコストが安いの高いのと言う議論はそれからにして欲しいものです。

むしろ、それによって化石燃料が安くなれば誰も節約する事無く、ますますCO2の排出量は増える事になってしまうのです。こうした補助金を出すよりも効率的なエネルギー供給の在り方、消費の在り方を考えるべきでしょう。

都市の消費の伸びを野放しにしておいて、その付けを田舎に押し付けるのは間違っています。そのリスクは都市住民が自ら負うべきものです。

我々の文明の在り方は廃棄コストを考えずに消費のみを最善とする考え方で動いています。しかし、それがもたらしたものは瀬戸内海の豊島に象徴される捨て場の無い廃棄物=ゴミの山です。これは核廃棄物に取り囲まれた私たちの将来を暗示しています。

原子力が必要だと言われる方には是非、こうした廃棄物を自分の庭先において頂きたいと思います。お金をやるから君の家にゴミを捨てさせろ。あからさまに言えば、我々の文明的で快適な生活はそう言っているのです。 原発必要論者の方には是非、ご自分のお住まいのところに原子力廃棄物の誘致をそれも無料で引き受けると言って欲しいものです。

昔、もう30年以上前の事、原子力発電が始まった頃に、これが普及すれば電気は無料になるかのように言われました。しかし、近年明らかになってきているのはその高いコストです。再生可能なエネルギー源がコストが高すぎるという批判をされる方に聞いてみたいのですが、この事実を如何お考えなのでしょう?

エネルギーの再生産から考えて、プルトニュームを増殖するといわれる高速増殖炉のその増殖率はたったの1,1ほどにしか過ぎません。仮にこれが2倍になったところで、建設や、解体、さらにその核廃棄物の管理にかかる費用を賄う事を考えればそのコストは政府や電力会社が言っている価格を大きく上回る事でしょう。

この事に関して、安いと言った電力企業や政府の方々は高かった場合はちゃんと個人的に支払ってくれるのでしょうか?でも、それは無いでしょうね。付けは私たちが支払う事になるんでしょうね・・・。

同じ様にエネルギーの増殖率で再生可能エネルギーを考えてみましょう。

例えば太陽光発電は投入したエネルギーを回収するのに現在、運転を始めてから、5年ほど掛かりますが、この装置が壊れるまでにそれ以上のお日様の光を私たちが利用できるものに変換してくれるのです。(現状で30年は持ちますから、6倍のエネルギーを手に入れられるという事になりますね)我々がエネルギー問題を考える時の基本は投入エネルギーと産出エネルギーの比率で考えるべきなのです。

 また、太陽がこの地球上に降り注ぎつづける限り、動きますから、燃料費は要りません。さらに付け加えるならこうしたエネルギーは我々人類にとって、今まで利用できなかった太陽のエネルギー=人間系の外を通り過ぎていたエネルギーを、地球生態系から見てカスケード利用させて貰うと言うことになります。(現在の人類が使うエネルギーはたった5分間分の太陽エネルギーです)
 

このエネルギーの利用の仕方と比較すると、原子力発電はこうしたエネルギーの流れに別のファクターを入れる事になるので予測不能な変化が起きる可能性がありますね。
風力発電は条件が良ければ既に化石燃料と同等の発電原価を達成しています。コストに関しては年々低下しています。残るのは必要な時に必要な量だけ確保できないと言う問題だけです。

この問題点に関しては、こうした再生可能エネルギーをベース電源と考えるほうが現時点でも、合理的だと思います。現在は原子力や大型の発電設備は簡単には出力調整の出来ない不便な?発電設備で、夜間の電気の不必要な時に電気が出来てしまうので、この電気を温水器用電源として安売りしたり、環境破壊に繋がる効率の悪い揚水式発電所でその過剰電力状態を調整しています。

ま、最近は、夜間需要は十分に開発済みの為?昼間のピークカットを目的にエコアイス(この為の電気代をやたら安く設定していますから、これは、エコロジーアイス(ではなくエコノミーアイスという意味のようです)というものをすすめていますが、これとて、火力発電所の稼働率を上げるだけに寄与するに過ぎません。

資金不足で普及が進まない再生可能エネルギーに資金の流れを作れれば私たちは未来に不安やリスクを押し付けないで次の世代にこの地球を引き継げるのです。こうした事業に資金が集まればより効率の良い再生可能エネルギー技術を開発する事が可能になるのです。

いま、我々がすべき事はこうした技術、産業に効果的に政策資金を導入する事です。

因みに皆さんご存知無いかもしれませんが、電気料金には電源開発促進税をいう税金が含まれていますが、この大部分が政策的に大規模発電設備=大型火力・原子力の開発促進に使われているのです。こうした資金の流れが止まらない限り、原子力発電所もCO2を大量に排出する火力発電所も止まりません。

比率から言うと原子力70パーセント、火力、25パーセント、省エネ新エネ5パーセントと言ったところでしょうか?

化石燃料に頼る使い捨て型の我々の文明は、決してサステイナブルではありません。この延長上にある原子力という核エネルギーによる文明は未だ、我々には手におえるものでもありません。(100年後の未来においてそれは可能かもしれませんが現時点では選択すべきではないでしょう)それは中央集権的であり、必然的に差別と格差を生み出す仕組みを内包しつつうごいているのです。

この実態を考えれば、再生可能エネルギーに資金を投入する方が未来の為になると考えられるのではないでしょうか?
 

インターネットの普及によって、我々は分散型の効率の良い情報共有化の手段を手に入れつつ有ります。しかし、それを支えるエネルギーの供給システムは未だに、大型コンピューターを中心にした?旧式のシステムとそっくりです。これは非効率的だと考える方が普通ですしょう。

再度、ここで我々が言いたいのは、再生可能エネルギーをベース電源にした分散型の地域自立のエネルギー供給システムを構築する構想力の必要性です。

今、我々に問われているのはどういう社会で生きたいと考えるかです。核事故やテロ行為の恐怖におびえる中央集権的な警察国家か、分散型でそれぞれが自立し責任をもって自己の可能性を追求できる多様性を許す社会か、私は後者を選択したいと考えています。
 
 

人間は、エネルギー無しには生きることは出来ない。
 
人間という動物は、自らエネルギーを作り出す事は出来ない。
 
過去には、植物が炭酸同化作用によって固定した太陽からのエネルギーを食物として取り入れる事で生きてきた。
 
そうなのだ。
 
まさに、生命を支えているのがエネルギーなのだ。
 
つまり、価値の源泉はエネルギーに有るといって良いだろう。
 
エネルギーは使われる事によって、無くなる。
 
だから、常に補充されねばならない。
 
その方法を含めて
  
どのような社会を貴方は望むのか・・・
 
それは、貴方の選択に掛かっている。
 

あの巨大な都市の欲望を満たす為だけに、田舎に原子力が押し付けられて良いものでしょうか?目の前に危険なものを林立させて良いものでしょうか?これが公正だと言えるのでしょうか?新宿、渋谷、原宿、六本木、青山と言った大エネルギー消費地帯と成城、田園調布など高額所得者の住む地域にこそこうしたものは建設されるべきなのではありませんか?

メリットとリスクは対応すべきです。メリットだけを享受してリスクを人に押し付けるババ抜き社会は悲しすぎますね。