2005/12/03UP

自然 エネルギーは、ここ宮崎に残された最後の資源


 以下の文章は私、「太陽光・風力発電トラスト」運営委員・中川修治(NPO法人「市民ソーラー・宮崎」副理事長)が宮崎県知事の安藤氏にお渡 しした手紙を一部、改稿したものです。

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宮崎県の今の姿は、言葉は悪いですが、殆んど、高齢化した成人病の病人といえます。そして、外からは、このままでは生きる希望も無く外から栄養補給をして 何とか生きながらえている医療費のかかる老人でお荷物状態と思われています。

戦後の日本。いえ、明治維新以降の日本はその時期にデザインされた制度の延長上にあります。

それは、19世紀イギリスに始まった産業革命以降の化石燃料に依存する産業社会の延長です。自動車に乗り、携帯電話意やネットをつかい、お金の為に忙しく 立ち働くそう言う意味では実に世界的な最先端状況を私たちは、ここ宮崎でも生きています。

今、残念なことに、中央の描く日本の未来は、都市の資本の為に未来でしかありません。大雑把な言い方をすれば、ここ宮崎は補助金などで下駄を履かせなけれ ば、開発途上国以下でしょう。

ただ、この様な文明社会が、地球の資源を消費し何時までも持つものではないことには、安藤さんも危機感をお持ちだということは、先日、地球温暖化防止フェ スティバルのとき、若い木材事業者の方々の会合での懇親会でお話をしたとき、感じました。 ただ、宮崎県に住んでおられる方々は何となく感じてはいますが、その方策に気がついてません。

一度、県庁のお役人を退職して、そして、悠々自適で暮らせたにも拘らず、敢えて、知事になられたのはそうした状況を放っておくわけには行かないと感じられ たからなと思います。(失礼かもしれませんが、希望的な見方です)そして、それが見える場所に居られたからかなと思いました・・・。

生産の無い所に消費があるわけがありません。それは人間同士のモラルをも崩壊させます。

それは戦後の日本の制度デザインが傾斜生産方式として通産の経済革新官僚によってモノの豊かさを追い求めるように作られてきたその結果でした。

そして、世界第二位の経済大国となりましたが、その内実は随分お粗末なものです。未曾有の高齢化社会を迎えるにあたって右肩上がりの経済を前提にばら撒き で作ってしまった所得移転による年金制度への不満が若い人たちの心の中に、彼らは口に出しては言いませんが渦巻いています。

また、田舎には雇用の場がありません。そして、それは地域を支えることすら出来ない社会の衰退課程です。さらに、そこに大商業資本が入ってきて地域からさ らに力を、富を奪っていきます。

これは単(ひとえ)に、化石燃料資源に依拠したからだと思います。確かに石油の生産性は1の投入エネルギーに対してその60倍もの効用が得られます。しか し、これは限られた資源です。無くなるものを湯水の如くに蕩尽する。

その経済的な高い生産性にあわせることは農林水産業は不可能です。理由は第一次産業は植物の変換効率に基礎を置くものだからです。

人間の為に食料は必要でした。しかし、必要以上に作ってしまえばこの分業社会で効率的な配分方法であるといわれるマーケットで買い叩かれます。さて、どれ ほどの資金が補助金としてこれらの業界につぎ込まれたでしょう?

そして、成果は上がったでしょうか?投入資金に比して成果ではあまりにそれは少なかったのではないでしょうか?

ただ、これは所得移転で問題を先送りしながらも、その分配の権限を握る人たちの仕事は確保されました。これが利権政治家と土建屋さんです。未だそれしか方 策無しと考えている方々が宮崎では多いのが残念です。

今回の選挙で二区三区で通った若い二人も、残念ながら次の時代を拓くだけのビジョンを持ちえていません。 ただ、中央から金を引っ張ってきたばら撒くということでは何ら新たな時代を拓くことにはならないのですから、もう少し考えてほしいものです。あれでは年齢 が若いだけで先の世代のコピーでしかありません。

さて、ではそうしたビジョンの無い政治屋さんしか持てないのならどうしたら良いのか?(君が政治家になれと言われそうですけど、そんな苦労はしたくありま せんし、効率的ではありません。政治家である知事には失礼ですけど)

むしろ、普通の人たちのレベルの底上げをどう図るかなんだと思います。困ればみんな考えます。ただ、困ったからとお願いされてよっしゃよっしゃとやったら 育ちませんし、寝たままです。人は楽をしようとしてしまいがちです。でも、それは実は自ら育つ機会を逸することになるのです。

幸い、県内にもNPO組織がいくつか出来てきて、それなりの危機意識を持ちながら活動を始めています。

ここで育つ機会を持っている方々に活躍してもらう時期なのです。それは知事の仕事を減らしてくれますよ。忙しすぎると考える時間すらないでしょう?もっと ゆとりを持てる筈です。考える時間だって取れることでしょう。

それに上から言っても動くような時代ではありません。むしろ、先を見て尖がった所にどう引っ張ってもらうかでしょう。

まずは県庁の方々が地域住民として何をすべきか考える時期だと思います。5時から後は普通の県民です。そして、自らの地域社会をどう作ったら良いのかを考 えるスタンスを持つと言うのが基本でしょう。それが自治の基本ですね。

持永氏にも会いましたが、かれの視点は通産省時代と変わらない様でした。地域からの視点が抜け落ちていました。何のために政治家をするのか。彼にとって宮 崎は遊びに来る田舎でしかない様に感じました。彼が本当に宮崎という地からの政治家を志すなら一年でも実際に米を作ってみるとか、林業者の現場で一週間で も働かないといけないのではないかと思いました。そこに暮らし生産し次に繋いでいく人たちの悲しみや喜びやその根底にあるものがどうも解っていないようで した。(だから、古川氏に負けるのです)

確かに頭は良いのですけど・・・。彼にとっては宮崎は田舎=ふるさと、故郷(それも親父の生まれた)であって、郷土ではないのです。それと友人が村上ファ ンドですから、生産のことなどよりも金の動きしか見えないのかもしれません。それが今の彼の限界です。

郷土と言う言葉が死語になって久しくなりました。しかし、私は地域に生きる人たちは郷土と言う言葉を使うべきだと思うのです。大地に足を置いて、そこに暮 らすことを、そこで生きることの覚悟を持った人はそう思うのではないでしょうか・・・。

故郷(ふるさと)とは郷土から引き剥がされて、出て行った若しくは出て行くしかなかった人たちの思いを載せた言葉でしょう。「ふるさとは遠くにありて想う もの」なのです。

(だから「ふるさと創生事業」なんて言葉は変なんです。あれは都会へ出て行って一旗挙げたおやじが地元へ利権誘導しますと言うことなんですから・・・)

そう言う意味では地元に人材の居ない所だと感じます。本当ならここ宮崎で育って学んで帰ってきてこの郷土をすばらしい地域に作り得る筈だった人たちが、産 業資本に投入 されむしろ、この地域から富を収奪する側に廻っています。それが、この国の悲しい現実です。

では、地域社会=郷土をどうもう一度、私たちの手に取り戻すのか・・・。

それは地域の生産力を上げる事です。いや、もっとちゃんと言うのなら自給力を上げる事です。外に売るほど作るから買い叩かれるのです。

年間1、300億円以上(私は1、600億を超えると見ています)の電力料金、600億円の揮発油(ガソリン代)重油、軽油等も合わせればこれも1、 500億円 を超えるのです。

これは優に宮崎県の県予算の財源のうち地域内で収められる独自財源を超える金額です。これら地域外へと流れ出す資金を地域外から持ってこなくてはならな い。その為に、農家は重油を焚いてハウス でメロン、ピーマン、きゅうりをつくる為、自分の健康を犠牲にしてまで農薬を浴びて仕事をしています。

そして出来た農産物は重油が姿を変えたもの。これが「太陽と緑のくに、宮崎」産として市場に出て行くのです。都市の欲望に奉仕する農の有り方は何処か歪ん でいます。

実は農業者だって気がついています。宮崎産の完熟マンゴーは重油の塊みたいなものだと・・・。これでは「太陽と緑のくに・宮崎」の特産品としては情け無 い。森の可能性、木の力は、過去、地域の人たちの燃料資源として、価値を持っていました。

この他、木青連の方々が取り組んでいる重油代替エネルギーとしての木質バイオマスチップの利用も宮崎の森林の持つ生産力を明らかにする取り組みです。こう し た取り組みこそが宮崎の未来を拓くのだと思います。

年間1、600億円の電力や重油などの化石燃料に代わるものを地域内で自給できれば、この資金が地域の中を廻ります。そして、人々の生活を支えることで しょ う。言わば、内需拡大です。それが本当の豊かさを支えるのではないでしょうか?

では何によって?

宮崎の特性を生かすことです。県民の誰もが言う「みどりと太陽の国、みやざき」このフレーズは確かにこの宮崎の特質を一番、言い当てています。

これこそが時代を拓く鍵です。これを生かすことです。 いや、それによって生かされる地域にして見せることです。 それは今の歪んだ国家の有り方も変えていくことになるでしょう。

資源小国といわれましたが、資源はあります。年間降雨量2500ミリから3000ミリ、これほど緑=植物の力の生産性が高い所があるでしょうか?

自然という、まさにそれによってこれまで人類が生きてこれたその生産力が眠らされてしまっています。ただ、化石燃料に比べれば、確かに生産性は低くコント ローラブルではありませんが、それは化石燃料経済が、資産を食い潰す再生不可能経済だからです。

石油を使うことはいわば、地球という親に甘えてすねをかじっているだけの放蕩息子と同じなのです。

では、ここ宮崎で何をなすべきなのか・・・。

それは、地域の残された最後の資源、そして、人類発生から私たちを支えてきた最初の資源である自然の生産力を、この地域の住民が主体的に顕在化させ自立し た姿を見せることでしょう。

そして、そこに基礎を置いた持続可能な社会の在り方を提示することが、私たちがここ宮崎から世界に対しても発信し貢献しうることで、これは、そう無理なく できる仕事なのだと思います。

これは勿論、もう先の無い文明からの時代の要請でもあるのです。 まだ、見ぬ私たちの未来の世代から私たちは託されているのです。

では、具体的にどういう方策を採るかです。まずは、太陽のエネルギーのフローをどう人間の社会へ導き入れ地域の自給力を高めるかです。

私は世界の成立の基礎は食料であるしエネルギーであると確信しています。理由は、世界は物質とエネルギーで成り立っているから・・・。

化石燃料を盗み出して使い捨てにすることはしてはならないことでした。しかし、人間の欲望はそれをしないでおくことは出来ませんでした。そして、様々の公 害問題。戦争に次ぐ戦争。近代戦争の原因はすべてエネルギー資源である石油にまつわるものでした。

先の大戦もそうでした。朝鮮を支配下にいれ、中国を侵略、そして、それを支えるためにインドネシアの石油を支配下に入れようとして南方へ・・・。そして、 米国との権益の衝突。

戦後は米国の傘の下に朝鮮戦争で米国の兵站を担い資本の本源的最蓄積を、そして、ベトナム戦争でさらに飛躍し、一時期は世界の工場でした。アジアの兄弟の 血で贖われた戦後の高度経済成長下での繁栄・・・。そして、金余りで生産性の無いものへの投機・・・。ここ宮崎にもシーガイアと言うその象徴がありまし た。そして、時代に乗り遅れた観光宮崎はとうとう宮崎交通の破綻を見ました。

そして、イラク戦争。あの悲惨さを知ることの無い戦後生まれの世代が過半数を占め、そして、米国の後を付いていくしかないとの思い込み。確かに石油に頼る 文明なら後を付いていくしかないでしょうが、イラクに出て行くことになりました。ここ宮崎からあの劣化ウラン弾のばら撒かれたサマーワに・・・。そこに 言った彼らの誰かは被害を将来において受けることは確かです。また、それを証明することは出来ないでしょう。

石油に支えられたドルで決済することを強制される経済。それは未来を壊す事でしか成り立たたないのです。

それは森林の荒廃をもたらし、山村の崩壊、都市の過密と腐敗を、地球環境の悪化と資源の劣化をもたらしています。

巨大な都市の欲望を満たすために牛肉と言う付加価値の高い商品を生産する。私が以前、ここ宮崎に来て直ぐに、宮崎産の牛を大相撲の優勝力士にプレゼントす ることが始まり、今では立派なブランドになりました。しかし、その牛を育てた為に、あの都城盆地に人間換算すると1000万人分もの屎尿が垂れ流され、そ れは九州一汚い川との汚名を大淀川に冠してしまっていました。

ハコモノの大淀川学習館にはそのことは明らかにされていませんでした。これは出口で解決することが出来る問題ではありません。その根本的なあり方に対して 次の時代をどう構想し次の方策を講じるのか・・・・。巧妙に問題をすり替え隠しては居ませんか?子供たちに嘘はいけないよと説教する大人が嘘吐きでは信用 はされません。

少子高齢化の中でこの国は急速に衰退の道を歩んでいます。明治維新に組み込まれたDNA、殖産興業、富国強兵の理念はまだ亡霊の如くに私たちの思考様式を 縛っていて、まだまだシステムは動き続けています。誰もがちょっとおかしいと感じながらその暴走する船を止めることが出来ません。

ここ宮崎でも、安価な石油を前提に、都市の周辺部への拡大がすすみました。ここ宮崎に私が始めてやってきたのは既に20年前のことあのチェルノヴイリ事故 の年でした。その頃に比べれば拡がりました。大学は町の中から郊外へ、そして貧弱な公共交通政策と相まって、モータリーゼーションが進み、車が必須の社会 となりました。そして、市街地中心部の空洞化を生みます。周辺部の風景はまるで米国のようです。

朝夕の通勤時には渋滞すら起こります。かなりの自動車が走り回っています。それも、宮崎では一切作ることの出来ない化石燃料=ガソリンで・・・。この総額 が六百億円。この資金の流失をどう食い止めるのか。そして、その資金を未来への投資としてどう生産財へ固定化するか。

既に次のパラダイムへと歩を進めている欧州、車社会いわれる米国でも地方都市の中にはコンパクトシティという概念でエネルギーコストを下げて地域再生を図 り始めていルところが出始めています。しかし、ここ宮崎はまだまだ米国型の大量諸費、大量廃棄社会を求めています。イオンに象徴されるように・・・ 。ショッピングセンターは巨大な神殿のようです。ここの神々はお金が大好きです。

しかしそれは、決して持続可能では有り得ません。イオンの売上目標が年間300億円。実に大きな笊(ざる)です。相対的な地域の窮乏化が見えています。こ の構造では・・・。

そして、そうした豊かさは台風14号の被害でも明らかなように、地球温暖化を推し進め未来世代の可能性を狭めながらの繁栄です。彼らはそれに気がついてい ません。しかし、気がついたときは既に遅いでしょう。 誰かがしてくれると考えてる限りは・・・。

私は昨年までの10年間、県外に居ました。最後の3年を佐賀で過ごしましたが、その前の7年は、大津、奈良、大阪と関西圏で過ごしました。その周辺部では 様々な異様な事件が起こっていました。そうした壊れた人間の起こす事件を人々に伝える報道の現場で仕事をしながら過ごしてきました。この間、どうしようも ない事情があった半年を除いて、あえてここ宮崎に住民票を置いたままにしておき出稼ぎ状態でいました。そう多くは有りませんが、食い潰しの都会ではなく、 宮崎に税金を落とそうと思ったからです。

しかし、その税金がどう使われたかを見ると悲しくなります。殆んど地域の自給力を上げるためには使われていませんでした。 私が居ない間に出来たもの・・・。サンマリンスタジアム、生目の森運動公園、などなど・・・。実に立派なハコモノをお作りになられました。宮崎に居た9 年、そして10年間外からも宮崎を見てきました。

外に目を転じてみると、転勤後2年目に起こった阪神淡路大地震で見えたものは一極集中型の都市の脆さでした。それは戦後日本の経済の危うさでも有ったと思 います。そこに私が見たのは別の在り方です。

分散型にすればそこまで被害は拡大しないで済む。それはその後に起きた鳥取での地震がその規模では阪神大地震クラスでもあったにも関わらずそれほどの被害 を出さないで済んでいたことをみて再確認しました。

そこで見たものは大規模な集中したものの脆さです。むしろ、それよりは、それぞれの地域や個人に責任を返すこと。それが人々の自立を促し、地域の自立に繋 がるのではないかとの思いです。

インターネット、情報の世界では、情報を共有化してそれぞれ分散型での処理へと向かう方向へと進みましたが、それを支えるエネルギー供給は実に中央集権的 な仕組みのままで動いています。それは調べ れば調べるほどに未来への負担が大きくなる仕組みです。

そして、JCOの事故、9.11.テロ。アフガン・イラク戦争。インドネシア津波。普通の暮らしをしたいと願っている普通の人たちが犠牲 になってしまいます。

中央の政府が主導し、右肩上がりの経済の根底を支えてきたこと確かでもあるけど、その実、問題を先送りにするに過ぎない核エネルギーを中心としたエネル ギー政策をまだ進めようとしています。これについては、昔、どこかの新聞が「原子力発電が進めば電気は無料みたいになる」と書いたそうですが、実際は、電 気は高くなり人々は大変なお荷物を抱えることになりそうです。

ご存知のように10数年前にも宮崎県でもそうした動きがありました。そして、やはり、女性らは子供たちの未来のこと、農業者は命を支える自分たちの産業と は相容れないと反対をして、どうにかそれは凍結されています。

ただ、核はここでは一応の終焉を見ましたが、南郷町における中間貯蔵施設誘致の問題など決して終わったわけではありません。串間では毎年、高校の卒業生の 数だけ人口が減ると言われ、その地域のマーケットの縮小に対して、自らの力では何との仕様の無い地域の商業者は原発に期待を掛けざるを得ないようにされて きたと言えるでしょう。

しかし、原発を受け入れた地域がどれほど自立性を失ってしまったかはよくご存知でしょう。それは援助交際であるとすら言える地域が電力資本の下部に組み決 まれる悲しい社会の姿です。 でも、少しずつ変わってきています。

例を挙げるなら、原発立地県でそれによる恩恵を受けているにも拘らず、福島の佐藤知事は核燃料サイクルの意義を地方から問うことを始めました。まともに考 えれば、明らかにそれは破綻していることに気がつきます。

果たしてそれしかないのか・・・。見かけ上、安く見せることは出来ても何れは破綻します。それが破局的な事故でなくても、その重荷は次の世代に圧し掛かり ます。

ただ惰性で動いているだけ。問題を顕在化させてしまうと既得権益が失われてしまうから・・・。 米国主導のグローバル化の中で、中央の資本は、世界市場という戦場へ戦わざるを得なくなり、地域経済などは考えてはくれません。

行政も補助金をばら撒くことで権力を維持することは不可能になりました。既に都市は田舎から出て行ったものは高齢化して二世の時代です。彼らは宮崎人では ありません。既に田舎を買い叩く都市の論理で行動する人たちです。

しかし、その為には、補助金と言う麻薬を打たれてしまって寝ている県民、住民の意識を目覚めさせねばなりません。 それが出来なければ、次の時代は拓けません。

 私たちがなすべきことは、出来ることなら、資本を消費に廻すのではなく未 来に、地域に、持続可能な社会を構築するために投資すべき時期なんだと思 います。
 
 では、一体何に?

県外への資金の流失を防ぐエネルギー自給のための投資です。地域内への投資は雇用を生みます。そして、そこで生み出されたエネルギーによって地域が豊かに なる様に資金の流れをデザインすることです。

自宅に太陽光発電を載せたのも10年前。我が家の発電所の発電原価は自己負担額では90円にもなるものを九州電力という九州最大の大企業はたったの20円 以下で買い叩かれています。それは、県の企業局の水力の電源を10円で買っていくのと同じです。

宮崎県は日本でも一人辺りでは第二位の太陽光発電設置県です。それも儲からないのに皆さん太陽と緑の国宮崎の特性を生かしたいと次世代のためにと設置して きています。

しかし、その投資が正しく評価されていません。地域産の農産物が木材が買い叩かれるのと同じなのです。

資本は買い叩けるものは徹底的に買い叩きます。それが彼らの言うマーケットメカニズムです。しかし、放射性廃棄物やCO2を出す発電所で作られた電力と同 じ価格で売買されることが果たしてフェアーなのか・・・。

それは、有機無農薬の野菜をポストハーベストの掛かった輸入野菜と同じでいいだろうというのと変わりありません。そして、それが正しいのだとは私は思えな いのです。

これをドイツの様な買い取り価格の保証制度をこの地域に向けにデザインすれば可能です。これで「きれいな電気」の生産を支えるならば、地域に生産された富 が残ります。しかし、それを普通のお金で支払えば、そのまま地域外へと流れ出してしまうでしょう。ならば、これを地域内を循環する通貨で支えればいいので す。

私は仮にこれを今「お日様ありがとう券」と名付けますが、そうした通貨で支払われれば単に発電所を設置した人だけではなく周辺の方々にも経済的なメリット を実感してもらえるように出来るでしょう。

高齢者が自然エネルギーの変換装置に投資をし、そのきれいな電力を子供や孫たちが使う。そして高齢者はそこから支払われる「お日様ありがとう券」で現役世 代から高齢者サービスを提供し てもらえれば世代間の不公平は無くなります。

そうした高齢者は食い潰してるのではないと若者も納得するでしょう。

私たちがつくる「きれいな電気」が真っ当に評価されれば 、正しく望ましい未来をつくるエネルギーとなるのです。 そうした制度枠組みを作ることが私たちに課せられた仕事なのだと思います。

宮崎でやるなら、「自然エネルギー経済特区」

では、こうした仕組みをどう実施するのか・・・。こうした時こそ特区構想を使うべきでしょう。

「太陽と緑の国・宮崎は、徹底的にエコを贔屓します」と宣言すれば、それは宮崎が世界へ貢献することになるのです。「地球と共生する未来は、ここ宮崎で形 になっています」と言えれば、ここに育つ子供たちは誇りを持って生きていくことでしょう。 そうした未来に繋がるビジョンこそが今必要です。

その目的は、未来に負債を残さない社会を構築することです。そうした地域に未来を託すことを望む若者たちが来る夢のある地域社会を作ることが出来れば、そ れは持続可能な社会へのモデルとなり得ます。世界が注目しますね。確実に・・・。そして、そこで学ぼうとする若者たちが集うでしょう。それぞれの地域でそ れを生かすために・・・。

私たちNPO法人「市民ソーラー・宮崎」はそうした未来への希望を繋ぐ人たちと共に宮崎で、持続可能な文明の未来を拓く仕事を始めます。